エッセイ 印象深い海外の視覚障害者 第3回 ウォン・ユン・ルン(マレーシア) 日本点字図書館 会長 田中徹二 田中徹二(たなか てつじ)1934(昭和9)年生まれ。1991(平成3)年、社会福祉法人日本点字図書館館長に就任。1993年、国連アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)の「アジア太平洋障害者の十年」のスタートを機に、アジア盲人図書館協力事業を立ち上げた。マレーシアを起点に、アジア太平洋諸国で点字印刷がないところを対象に、点字印刷技術を指導。2004年からは視覚障害者個人向けに、パソコン技術指導も行っている。2001年4月から2022(令和4)年3月まで日本点字図書館理事長、現在は会長。  ウォンは、私がアジアで最も親しい人物だ。1994(平成6)年、社会福祉法人日本点字図書館(以下、「日点」)がアジア盲人図書館協力事業を立ちあげて、実態調査としてマレーシアに行ったときに知り合った。彼は当時、クアラルンプールにあるマレーシア盲人協会(以下、「MAB」)の職員だった。国立マラヤ大学を卒業したばかりのエリートと紹介された。「ここで偉くなって、視覚障害者協会の会長になるんだ」と豪語する若者だった。  その彼に、日点はアジア国際協力事業である点字印刷技術指導講習会やICT(情報通信技術)講習会で全面的に協力してもらうことになる。1998年、マレーシアで初めての点字印刷所ができ、その所長に就任したクリスティーナ・アン・ローとウォンが結婚したころからである。2001年まではアジア太平洋地域の諸国で、点字印刷をしていない盲学校や盲人施設から職員をマレーシアに招いて、講習会を開くことにした。当時は郵政省の国際ボランティア貯金から助成を受けた。  2002年からは助成金が打ち切られたので、第三国研修として各国の施設へウォン夫妻に出かけてもらっている。そして2004年からは別の助成金で、視覚障害者個人を対象にICT講習会をペナンで開催している。選考から始まり、招へい手続き、指導まですべて、ウォンに世話になっているといっても過言ではない。  ウォンは生まれながらの全盲だ。兄弟姉妹は6人いるが、そのなかに視覚障害者が含まれる。クリスティーナは晴眼だが子どもはいない。しかしICT講習会の研修生から、ママ、ママと慕われて、じつに面倒見がよい女性である。  ウォンは5歳になると、ペナンにイギリス人がつくった初めての盲学校、聖ニコラス・ホーム(以下、「SNH」)に入学した。そこで普通の学習だけでなく、さまざまな訓練を受け、自立心が育まれたという。中等教育の後半は、クアラルンプールの一般校で晴眼の生徒と一緒に学んだ。そして大学に進学して、卒業後、幹部候補生としてMABに就職したのである。  ところが、2006年、MABを退職し、ペナンのSNHに転職してしまった。妻のクリスティーナの母親が病気になり、彼女が世話をしなければならなくなったからだという。1994年に会ったときの彼の希望は、一体どうなったのかと思ったことを覚えている。  それが2011年になると、クアラルンプールにあるマレーシア盲人協議会(以下、「NCBM」)に呼ばれた。NCBMは、盲人関係の施設や盲学校が加入する全国組織だ。全国に出張し、NCBMの本来の役割である連絡調整に尽くした。日点の協力事業も本格的に手伝えるし、彼の本来の目標に添った職場に戻ったように感じられた。2022(令和4)年には、NCBMの実質的なトップである常務理事に任命されて、視覚障害者の世界でウォンの意向が通用するようになったのである。そして国内では障害者関係の各種政策委員会の委員として活躍している。また、国際関係では、世界盲人連合のマレーシア代表を務めている。  彼の報告によると、マレーシアでの視覚障害者の職業は、マッサージ師、教師、大学講師、公務員、NGO団体職員、起業家などだという。就業率の統計はないので、どれくらいの視覚障害者がこれらの仕事をしているか、正確にはわからない。わが国でもそうだが、個々の職業についての統計はなく、知人の就いている職業をあげたのであろう。それでもマッサージ師は養成もされているので類推が容易であることは間違いない。約5000人が職業人として働いている。職業訓練はMABとSNHで行っており、職種はマッサージ、足のリフレクソロジー、ICT、事務職、オーディオ製作だという。  経済成長の目覚ましいマレーシアは、先進国のレベルに追いつこうとしている。それを如実に示すのが、障害者への対策だ。障害者対策まで政府の手が伸びるのは、どこの国でも、経済にゆとりがなければ成り立たない。マレーシアは、そのレベルにすでに達したといってよい。これからのウォンの活躍がますます期待されるところである。