この人を訪ねて ワクワクする場で「就労体験」を NPO法人ピープルデザイン研究所 代表理事 田中真宏さん たなか まさひろ 1978(昭和53)年、東京都生まれ。文化服装学院卒業後、スノーボードインストラクター、アパレルの販売・企画・デザイナーを経て、2009(平成21)年にNPO創設者の須藤シンジ氏が代表を務めるネクスタイド・エヴォリューションに入社。2012年、NPO法人ピープルデザイン研究所設立とともに運営メンバーに。ディレクターとして「超福祉展」などのイベントや、「障害者の就労体験プロジェクト」などの企画・ディレクションから運営までをになう。2021(令和3)年4月より代表理事に就任。 「ピープルデザイン」とは ――まず、NPO法人ピープルデザイン研究所について教えてください。 田中 「NPO法人ピープルデザイン研究所」は、2012(平成24)年に須藤シンジが立ち上げ2021(令和3)年から私が代表を務めています。そもそも須藤は自身の息子さんが障害をもって生まれてきたことをきっかけに、2002年にファッションやデザインを通じて障害者と健常者が混ざり合う社会を創るソーシャルプロジェクト「ネクスタイド・エヴォリューション」を立ち上げ、活動をしていました。このときから私もプロジェクトに参加し活動を続けるなかで、私たちは「心のバリアフリーをクリエイティブに実現する思想や方法」として「ピープルデザイン」を提唱し始めました。そしてネクスタイド・エヴォリューションでの活動をベースに、この考え方を活用して、渋谷発でダイバーシティの街づくり活動を行うNPO法人を立ち上げました。 ――研究所のおもな活動として「就労体験プロジェクト」がありますね。 田中 私たちは「障害者」、「高齢者」、「LGBTQ」、「外国人」、「子育て中の父母」の五つのマイノリティの方たちの社会課題を、「モノづくり」、「コトづくり」、「ヒトづくり」、「シゴトづくり」の4領域で解決しています。現在力を入れて取り組んでいるのが、「障害者」と「シゴトづくり」と「ヒトづくり」をかけ合わせた「就労体験プロジェクト」です。  このプロジェクトがスタートしたのは2012年。創設者の須藤が、当時特別支援学校に通っていた息子さんの将来の仕事の選択肢が少なく「好きなことにかかわる仕事を経験させたい」と考えたことがきっかけです。私たちも学生時代、アルバイトをするときは「やってみたい仕事」を探し、ワクワクしながら働いた経験があると思います。  そこで私たちは、障害のある方たちもワクワクしながら非日常の晴れ舞台で働き「ありがとう」といってもらえる体験ができる場として、スポーツや音楽などのエンターテインメントのイベントに着目しました。仕事内容としては、会場の設営や清掃、チケットもぎり、会場案内などをになっています。運営スタッフとして他者や社会とあたりまえに混ざり合い、一緒に働くことで自然に接する機会を持つことができます。この体験は、福祉事業所などに声をかけて参加者を募り、4時間程度の働く体験で「交通費」として2千円を支給します。  はじめた当初は受入れ候補先を探しても、どこも安全性などの面を不安に思い躊躇(ちゅうちょ)していました。そんななか、男子プロサッカーJリーグの「横浜FC」が受け入れてくださったのです。2012年の記念すべき1回目には、横浜市内から10人の障害のある方が参加しました。これをきっかけに他地域や、他のサッカークラブやスポーツ、音楽イベントへと拡大していきました。 ――就労体験者には、実際にどんな効果がありましたか。 田中 就労体験者には朝礼で、「体調を最優先し、安全を考慮すること」、「4時間のなかでできる目標を一つ決めてチャレンジすること」、「楽しく働くこと」の三つを伝えています。この三つをしっかり伝えることで、体験の質や仕事に対するモチベーションが大きく違ってきます。  参加者のなかには「大きな音が苦手」、「人ごみが苦手」といった方もいますが、会場でパンフレットを配ったり、客席を回ってゴミを回収したりしていくなかで、その苦手なことを克服して、「よい経験になった」、「自信がついた」と最後は笑顔で帰っていきます。これは、おそらくスポーツなどエンターテインメントの会場自体が、非日常を楽しむポジティブなエネルギーで溢れていることが一因ではないかと考えています。  こうして4時間の就労体験を乗り越えた経験が小さな自信となり、自己承認や他者承認につながり、社会へ一歩ふみ出すきっかけになっています。2014年から実施している神奈川県川崎市では、2022年度までに388企画を行い延べ3107人が参加し、そのうち273人の一般就労が実現しています。 全国各地で自由な取組みを ――就労体験プロジェクトは、全国に拡大しているそうですね。 田中 2021年から本格的に全国展開をスタートし、2023年9月までに17地域で、延べ1011人が参加しています。地方の開催では、印象深いエピソードもたくさんあります。  例えば、北海道の就労体験に参加された統合失調症のある60代男性は、学校を卒業後、ずっと病院と就労継続支援B型事業所の往復で、外で働いた経験が一度もなかったそうです。その方は会場で観客にパンフレットを手渡しながら、何度も何度も私に「仕事、楽しいね」といっていました。地域によっては施設外就労の機会がほとんどないところもあると知り、「もっと若いうちにこの体験をしていたら、彼の人生も違うものになっていたかも」と感じました。  また、徳島県では、会話もむずかしい重度障害のある車いすの方が、お母さんと一緒に参加してくれました。その方にはゴミを分別する仕事を任せたのですが、お客さまがゴミを捨てに来るとそばにいるお母さんがその方に声をかけ、その方は手もとのタブレット端末のボタンを押すんです。すると録音されたお母さんの声で「ゴミの分別をよろしくお願いします」と案内が流れます。分別をしてくれたお客さまが、車いすの脇にあるボタンを押すと「分別したよ」と声が流れ、車いすの方がまたボタンを押すと「ありがとう」と声が流れ、お礼を伝えます。会話がむずかしくても、体が動かせなくても、こうしてスタッフの一員として仕事をすることができたのです。終礼の際、その方に2千円の入った封筒を手渡したとき、とてもうれしそうな表情を見せてくれたことがいまでも忘れられません。 ――今後の展開について教えてください。 田中 最近は、就労体験を通じた障害のある方々の地域交流にも取り組んでいます。昨年10月、島根県益田市で開催されたマラソン大会に、川崎市在住の自閉症の方とそのお母さんを招待して、就労体験を実施しました。以前、益田市内の障害のある方々を川崎市のサッカーの試合とロック・フェスティバルの就労体験に招待し「都会で働く貴重な経験ができた」との感想をもらいました。今回は逆に、都会の喧騒に疲れてしまった方を地方に連れて行き、ゆったりとした雰囲気のなかで就労体験を行ったのですが、とても喜んでいただくことができました。  この就労体験プロジェクトは、国や行政の財源に頼らず、企業協賛を獲得して持続可能なモデルをつくっています。そのノウハウを無償で提供して広めていくうちに、さまざまな団体による自主運営も増えてきました。全国の各地域で、地域に根ざした取組みとして、細く長く自走していくのが理想と考えています。  そういえば先日、受入れ先のとあるスポーツクラブから「就労体験を担当しているアルバイト学生の働き方が変わった」とも聞きました。体験者がていねいに仕事をし、一生懸命に働く姿を見て、自分たちの働き方や仕事に取り組む姿勢を見直す機会になっているようです。障害者雇用を検討している企業のみなさんも、ぜひ一度見学に来てください。環境や条件を少し整えることで働ける人たちがたくさんいることを、まずは知ってもらうことが、理解を深める一歩になると思います。