エッセイ 印象深い海外の視覚障害者 第4回 アルド・グラッシーニ(イタリア) 日本点字図書館 会長 田中徹二 田中徹二(たなか てつじ)1934(昭和9)年生まれ。1991(平成3)年、社会福祉法人日本点字図書館館長に就任。1993年、国連アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)の「アジア太平洋障害者の十年」のスタートを機に、アジア盲人図書館協力事業を立ち上げた。マレーシアを起点に、アジア太平洋諸国で点字印刷がないところを対象に、点字印刷技術を指導。2004年からは視覚障害者個人向けに、パソコン技術指導も行っている。2001年4月から2022(令和4)年3月まで日本点字図書館理事長、現在は会長。  アルドはエスペランティストだ。エスペラント語は1887(明治20)年、ポーランドの眼科医、ルドヴィコ・ザメンホフが発表した人工言語である。エスペラント≠ニは、エスペラント語で希望する人≠ニいう意味だ。ラテン語を中心に各国語の特徴を巧みに取り入れ、文法を極端に簡略化したので国際的に普及した。わが国でも、1906年に日本エスペラント協会が設立され、大正時代に愛好者が増えた。視覚障害者の先覚者といわれる、関西学院大学教授だった岩橋(いわはし)武夫(たけお)氏、京都市名誉市民の鳥居(とりい)篤治郎(とくじろう)氏もエスペラント語に取り組んでいた。日本盲人エスペラント協会(以下、「JABE」)は、1923(大正12)年この二人により結成された。  私も興味を持ち、学習の機会を得て、JABEの会員になった。2003(平成15)年、スウェーデンのヨーテボリで世界エスペラント大会が開かれたとき、何人かの仲間と出席した。そのときにアルドと出会った。エスペラント語でたどたどしく質問したところ、ていねいに答えてくれ、会話が成立したことを覚えている。エスペラント語に少し自信がついた私は、以後、世界エスペラント大会や国際盲人エスペラント大会(以下、「LIBE」)に出席するようになった。アルドはイタリア・エスペラント協会の会長でもあったので、国際会議でも大活躍していた。  2006年、世界エスペラント大会とLIBEがイタリアのフィレンツェで同時に開かれたときに、アルド夫妻は世界中のエスペランティストの先頭に立っていた。夫妻はともに全盲だ。  LIBEが会員のために遠足を企画した日、アルド夫妻は視覚障害のみんなを触覚美術館オメロに案内した。1993年にアルド自身が創った美術館である。大きなバスで、アドリア海沿岸のアンコーナに行った。バスのなかでは、妻のダニエラのたくみな話術により、みんなを飽きさせることはなかった。  アルドはボローニャ大学を出たあと、アンコーナの高校で37年間、歴史、哲学を教えた。その間、市議会議員にも3回なったので、市の協力を得て、オメロ美術館を創ったのだ。ミケランジェロなど有名な彫刻を手で触れるようにした縮小コピーをつくり展示した。そのほか現代の彫刻家の実物の彫刻や建造物の模型もたくさんつくり、所蔵している。いま、わが国で盛んにもてはやされているユニバーサル・ミュージアムのきっかけになった美術館といってよい。1999年にはイタリア政府が認め、国立美術館になった。私はオメロ美術館を3度訪れた。コピーといえども、精緻な作品の数々を楽しんだが、毎回、所蔵作品の全部を見ることは到底できなかった。国立美術館になった後は、美術品も増え、学芸員も増えたことはいうまでもない。  一昨年、「手でふれてみる世界」という映画が映画監督でキュレーターの岡野(おかの)晃子(こうこ)さんによってつくられた。岡野さんは長年にわたり美術館運営にたずさわるなか、オメロ美術館の活動に心を動かされてカメラを回したという。この映画では、美術鑑賞におよぼす触覚の偉大な影響をさまざまな事例を通して説いている。この映画は一般に広く公開されていないので、見る機会は少ないかもしれない。しかし、触ることが視覚を上回る感動を呼ぶ可能性があることを多くの人に知ってほしいと思う。  イタリアは精神病院が一つもないことで有名だ。盲学校も1970年代に消えた。障害者にとって、イタリアはインクルーシブな社会なのである。そういうイタリアでも視覚障害者の職業はパッとしない。2007年、世界エスペラント大会が横浜で開催されたとき、アルド夫妻が訪日し、日本点字図書館でアルドに講演してもらった。そのときの話では、彼のような一般学校の教師が三百数十人、国家公務員が数人だった。18歳から65歳の約2万人の就業人口のうち、多いのは電話交換手、マッサージ師だった。同じヨーロッパながら、この連載の第2回で紹介したペドロ・スリータ(※)がいるスペインとは大きく違っている。視覚障害者の職業訓練の成果がなかなかあがらない、ほかのほとんどの国と同じである。 ※第2回「ペドロ・スリータ(スペイン)」はJEEDホームページからご覧いただけます。 https://www.jeed.go.jp/disability/data/works/book/hiroba_202403/index.html#page=21