02アビリンピックの歴史 全国障害者技能競技大会(以下「大会」という。)は、昭和47年11月に、当時の社団法人障害者雇用促進協会(現在の独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構)が、「全国障害者技能競技大会」の名称で、当時の雇用促進事業団中央技能開発センター(現在の独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構 ポリテクセンター千葉)において第1回大会が開催されました。 その後、昭和51年の身体障害者雇用促進法(昭和62年の法改正により「障害者の雇用の促進等に関する法律」と名称が改められました。以下「法」という。)の改正に伴い、新たに発足した身体障害者雇用促進協会 (昭和63年の法改正に伴い、「日本障害者雇用促進協会」に改組。いずれも現在の独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構)の事業として明記されるとともに、その名称が「全国身体障害者技能競技大会」と変更(第6回大会)されました。 さらに、平成9年の法改正により知的障害者が雇用義務化されたことに伴い、大会においても知的障害者が参加できることとなり、名称が「全国障害者技能競技大会」と改められました。 そして、平成18年の法改正により大会が法に明記されるとともに、精神障害者が障害者実雇用率の算定対象になったことに伴い、大会においても精神障害者が参加出来ることとなりました。 大会は、第1回大会から第9回大会までは毎年度開催されてきたが、昭和56年に日本(東京)で第1回国際アビリンピックが開催されて以降、原則として国際アビリンピックが開催される年度を除き、開催することとなりました。第1回大会 1972年第7回大会 1978年第8回大会 1979年第9回大会 1980年第10回大会 1982年第2回大会 1973年第3回大会 1974年第4回大会 1975年第5回大会 1976年第6回大会 1977年皇太子・両妃殿下による御視察 大会標語『身につける技能があかるい明日をよぶ』予選を兼ねて北海道、大阪府、島根県などで地方大会を開催技能検定の実務試験免除に係る技能証交付を開始44都道府県から16種目の競技に170名の選手が参加「大会報告会」において、第1回大会以来の競技委員21名に感謝状贈呈「アビリンピックによせて」という歌が作成され、交歓会で披露開会式において初の試みである打ち上げ花火の実施、10府県で地方大会を開催盲導犬を伴った選手が初めてアビリンピックに参加、大会の記録映画がつくられた1981年の第1回国際アビリンピックの選考会を兼ねて開催、第1から8回大会の金賞受賞者を招聘新種目として「日本語ワードプロセッサ」「パーソナルコンピュータ」が追加
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