障害者雇用支援マニュアル@ 聴覚障害者の雇用支援マニュアル 〜 きこえない・きこえにくい人が働きやすい職場に〜 独立行政法人 高齢・障害者雇用支援機構(JEED) はじめに(発刊にあたり)  当機構では、障害者の雇用及び職場定着を推進することを目的に、様々な資料などを作成・提供しています。  これまで「障害者職域拡大マニュアル」や「障害者雇用マニュアルコミック版」を、障害別の雇用管理に資するマニュアルシリーズとして刊行していましたが、今般、1冊で事業主の理解が進むよう、これらのマニュアルを統合した新たなシリーズとして「障害者雇用支援マニュアル」を刊行することとしました。  近年、障害者の雇用を取り巻く状況は変化しており、「障害者の雇用の促進等に関する法律」を中心とした障害者にかかわる雇用・福祉関係の法令の数次にわたる改正により、事業主に対し、雇用する労働者への合理的配慮の提供や職業能力の開発・向上に向けた措置を行うことの義務化などが進められてきました。こうした動きとも相まって、事業主の障害者雇用に対する意識の高まりや、障害者の就労意欲の向上により、障害者の雇用が進展するとともに、その質の向上に向けた取組も進んできたところです。また、昨今、働き方改革やコロナ禍にも対応したテレワークの普及など、働き方そのものにも変化が生じており、雇用管理についても様変わりを続けています。加えて、就労支援機器などの活用も浸透してきており、最新のテクノロジーを活用した研究・開発が一層盛んに進められています。  こうした現下の情勢を踏まえ、「聴覚障害者の雇用支援マニュアル〜きこえない・きこえにくい人が働きやすい職場に〜」(以下「本マニュアル」といいます。)を発刊することとしました。発刊にあたっては、動画版の手話をコンテンツとして盛り込むなど、事業主の利用ニーズに、より即したものとなるよう作成しました。  本マニュアルが、多くの企業などで活用され、聴覚障害についての理解が深まり、きこえない・きこえにくい人の働きやすい職場づくりに役立つものとなれば幸いです。  本マニュアルの作成にあたり、ご協力いただいた皆様に改めて厚く感謝申し上げます。 令和7年3月 独立行政法人 高齢・障害・求職者雇用支援機構(JEED) 障害者雇用支援マニュアル? 聴覚障害者の雇用支援マニュアル 〜きこえない・きこえにくい人が働きやすい職場に〜 目 次 【イントロダクション】 ― 6 主な登場人物 ― 8 第1章 「きこえない・きこえにくい」とは 9 1「きこえない・きこえにくい」とは ― 12 (1)聴覚の仕組み (2)聴覚障害とは (3)聴覚障害の種類と特徴、補聴器・人工内耳 2 聴覚障害の範囲、等級、程度 ― 18 (1)法律上の定義など (2)聴力の程度 3 一人ひとりに応じて理解する ― 20 (1)個々人に応じて理解 (2)各人のライフヒストリーや価値観などを理解し、配慮する (3)ろう者の文化と手話言語 4 「きこえない・きこえにくいこと」と「バリア」 ― 22 (1)きこえない・きこえにくいことで生ずる「バリア」 (2)就労場面での「バリア」の解消 第2章 きこえない・きこえにくい人とのコミュニケーション 25 1 コミュニケーションを図るための基本事項 ― 26 (1)本人の望む方法を確認 (2)コミュニケーションにおける留意事項 2 コミュニケーションの方法(口話・筆談・手話) ― 28 (1)口話 ?正しく伝わったかを確認することが必要。明瞭、簡潔な表現で身ぶり手ぶりを交えて理解しやすく? (2)筆談 ?書くのはひと手間でも、正確に伝わりやすい方法? (3)手話 〜職場での活用は信頼関係や親密感を深めます 第3章 情報保障と就労 39 1 情報保障の基本的な考え方 ― 40 2 情報保障の方法・手段 ― 41 (1)要約筆記 (2)手話通訳 (3)情報機器・ソフト (4)その他 第4章 採用・配置、受入れ態勢 49 1 採用面接時の配慮 ― 50 2 職場配置の配慮・受入れ態勢 ― 53 3 職場のルールとマナー ― 55 4 一人ひとりに応じた作業指導・訓練 ― 61 第5章 定着支援、スキルアップとキャリアアップ 65 1 職場でのコミュニケーション ― 66 (1)相互の確認不足の事例 (2)情報提供が不足している職場環境の事例 (3)相互の理解不足の事例 2 職場定着を図るために ― 78 (1)個人面談 (2)職場定着のための組織的な対応 3 スキルアップとキャリアアップ ― 95 (1)研修における情報保障 (2)会議における情報保障 (3)モチベーション向上のための工夫 第6章 安全・安心な職場づくりを目指して 107 労働安全衛生対策の推進 (1)安全衛生教育と体制整備 (2)環境整備 (3)災害発生時などの所内体制 (4)事前の準備と訓練の実施など (5)BCP(事業継続計画)の策定について 第7章 職場の手話 111 1 目で見る言葉 ―それが手話です ― 112 2 職場の手話(動画編) ― 113 【資料編】 125 1 助成制度概要 2 関係機関・団体 (1)相談支援施設(手話通訳・要約筆記者の派遣など) (2)就労支援機関 (3)当事者団体など (4)手話通訳・要約筆記関係 (5)その他 3 障害者雇用に役立つ資料など マニュアル、好事例集など、障害者雇用事例リファレンスサービス、 DVDの貸出、就労支援機器の貸出 4 引用文献・参考資料 ご利用にあたり ? 構成について  「はじめに」で説明したように、本マニュアルは「職域拡大マニュアル」と「コミック版マニュアル」を統合し、改編したものです。そのため、基本的な構成として、項目ごとにコミックでエピソードなどを紹介し、次に解説を行っています。ただし「第5章 定着支援、スキルアップとキャリアアップ」では冒頭に解説を配置しています。また、「第3章 情報保障と就労」と「第6章 安全・安心な職場づくりを目指して」は解説のみとしています。  なお、文中で「事例」とあるのは、内容に関連した企業の取組事例です。事例の内容は、本マニュアルの作成にあたり企業や障害のある社員に取材したものと、JEEDのほかの出版物を出典としたものです。 ? 障害などの表記について  本マニュアルでは、次のような用語の用い方を原則とします。法令用語や学術用語、資料からの引用などとして用いる場合、聴覚障害のある方を「聴覚障害者」と表記します。それ以外の場合は、全く聞こえない方は「きこえない人」、難聴のある方は「きこえにくい人」と表記し、聴覚障害のない人は「きこえる人」と表記します。聴覚障害のある方を総称して「きこえない・きこえにくい人」と表記する場合もあります。 ? ホームページ上での掲載について  本マニュアルはJEEDのホームページに掲載しています。ホームページ版では本文中に関連するサイトへのリンクを設定しています。また、125ページの【資料編】などでも関連サイトへのリンクを設定していますのでご利用ください。  また、「第7章 職場の手話」は動画でご覧いただけます。 イントロダクション 拡大する雇用とコミュニケーションの重要性 拡大する雇用と職域  障害者の就労意欲の高まり、企業の障害者雇用への積極的な取組、障害者雇用促進施策の拡充、就労支援機器やICT(情報通信技術)の進展などにより、雇用される障害者数は増え、その職域も拡がっています。また、近年では、在宅勤務や短時間勤務など、多様な働き方も拡がりつつあります。きこえない・きこえにくい人についても、就業している業種や職域が拡大するとともに、働き方も多様化しています。  障害者が職場に定着し、スキルアップ・キャリアアップを実現していくためには、雇用する企業が障害特性を理解し、本人の意欲や能力が発揮できるよう、必要な配慮を提供することが不可欠です。特に、「情報障害」ともいわれる聴覚障害の場合には、職場でのコミュニケーションの確保や情報保障が重要です。 職業能力を左右する 職場のコミュニケーション  きこえない・きこえにくい人を雇用している企業の方から、就労支援機関に「きこえない・きこえにくい人の職業能力は、ほかの社員と変わらないが、コミュニケーションにすれ違いが起こるなど、人間関係でうまくいかないことがあり、悩んでいる」といった相談があります。   日々の現場や教育訓練の場面などで、周囲の障害への理解や対応に不足があったことによるものかもしれません。すれ違い自体はささいなことかもしれませんが、積み重なると深刻な事態へと発展する可能性があります。   一方で、きこえない・きこえにくい社員と、きこえる社員が手話などを通して自然にコミュニケーションがとれている企業では、きこえない・きこえにくい社員が能力を発揮するとともに、良好な人間関係を築き、長期的に勤務している場合が少なくありません。こうした企業では、分かりやすい作業手順書の作成など、業務遂行に必要な情報の的確な伝達や円滑なコミュニケーションに関する工夫、手話習得などの上司や同僚の努力、配属前からの環境整備など、きめ細かい配慮と支援が行われています。 コミュニケーションや人間関係における課題の解決のためには、雇用主や障害者雇用の担当者、職場の作業指示者(上司を含む)や同僚が聴覚障害について正しく理解することが前提となります。受入れ時のチェックポイントの確認、職場環境の整備など、雇用管理面での対応が適切であれば、きこえない・きこえにくい人の職場定着につながるだけでなく、職場全体のモチベーションが上がることが示されています。きこえない・きこえにくい人をはじめ、障害のある社員が働きやすい職場は、全ての社員にとっても働きやすい職場でもあります。  「きこえない・きこえにくい人だから、コミュニケーションが難しいのではないか」、「抽象的な概念が理解しにくいのではないか」などと画一的に考えることは適切ではありません。障害者雇用では、一人ひとりの障害特性や適性・能力などが異なることを理解して対応することが基本です。 合理的配慮の 提供義務について  雇用の分野における合理的配慮については、「障害者の雇用の促進等に関する法律」(以下「障害者雇用促進法」という。)の平成25年の改正により規定(導入)されたものです。これにより、事業主には過重な負担とならない範囲で、障害者からの申し出により、合理的配慮を提供する義務があります。実際の提供に当たっては、事業主と障害者が「対話」を行い、配慮の内容を決めていきます。  厚生労働省の「障害者差別禁止・合理的配慮指針」では、聴覚・言語障害に係る採用後の配慮事例として、業務指示・連絡に際し、筆談やメールなどを利用することや、危険個所や危険の発生を視覚で確認できるようにすることなどが挙げられています。  合理的配慮の詳細については、厚生労働省のホームページに掲載されている同指針や事例集をご覧ください。 厚生労働省 雇用の分野における障害者への差別禁止・合理的配慮の提供義務 https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/koyou/shougaishakoyou/shougaisha_h25/index.html Check きこえない・きこえにくい人の「職業」を考える  長い間、きこえない・きこえにくい人は木工、機械、印刷、理容、縫製などの職種で多く働いていました。こうした職種がきこえない・きこえにくい人の適性に合っていたということではなく、他者とのコミュニケーションをそれほど必要とせず、技術習得や職務を遂行しやすい職種と捉えられた結果と考えられます。逆に、コミュニケーションなどの配慮があれば、聴覚障害により遂行が不可能な職種はほとんどないといえます。現に、近年は事務系職種での就労を希望する人が増えており、実際にそうした分野で活躍している人も増えています。きこえない・きこえにくい人の職種や就業分野を幅広く考えることがますます重要になってきています。その際には、以下のことを考慮してください。 ? 身体面での特徴  身体運動機能や体力についての課題はほとんどないと考えられます。健康面も同様で、就労上の問題になることは基本的にないといえます。  作業現場における危険を知らせるパトランプの設置や非常時の退避手段の確保などを除けば、特別な設備改善などは、必ずしも必要としません。 ? 作業面での特徴  作業面でも、聴覚障害に起因して遂行できないものは、ほとんどありません。しかし、幼い頃から手話を日常的なコミュニケーション手段(言語)としている人の中には、音声言語としての日本語の読み書きなどを苦手とする場合があります。このため、本人の実際の職業能力よりも過小評価されてしまうことがあります。作業手順の理解や状況判断などの能力は高いにもかかわらず、採用時の筆記試験や口頭での面接試験では十分に評価されなかったり、採用後もコミュニケーション場面や文章作成場面などの印象から過小評価されてしまったり、本来の力が見落とされることにつながります。そうしたことが生じないためには、実際の作業を通じて評価する、コミュニケーションの方法(手話など)を確保するなどの工夫が必要です。  基本的には作業手順の理解力や作業遂行面での課題はほとんどないと考えられますが、本来の力を発揮するためには、共同で作業を進める場合の進捗状況の確認・報告の方法を、お互いの了解のもとで決めておくなどの工夫も必要です。 ? 行動面での特徴  きこえる人が、社会生活などにおいて自然に耳から得ている情報は少なくありません。しかし、先天的、あるいは幼い頃からきこえない・きこえにくい人の場合には、受けてきた教育や経験した場面が限定的であることなどから、社会生活の知識やマナーに関する情報が不足していることがあります。そのため、きこえる人の文化への適合が難しく、周囲から常識がないとみられてしまうことがあります。  そうした場合には、上司が本人に、なぜそのような行為を行ったのかを確認し、それが周囲からどのように理解されるのか、解決法は何かなど、時間をかけて相談することが必要な場合があります。また、周囲に対する働きかけ(障害特性の理解促進のための情報提供など)も重要です。 (参考:独立行政法人 高齢・障害・求職者雇用支援機構編『令和6年版障害者職業生活相談員資格認定講習テキスト』) 主な登場人物 森 和歌子さん(45歳) ハローワークの担当職員。障害者1人ひとり、また個々の事業所の実情に則し、日々、障害者雇用支援のための相談や支援に当たっている。ときに厳しいアドバイスもするが、温かくきめ細かな支援で、働く障害者と障害者雇用に取り組む事業所を見守り続けている。 海野大介さん(33歳) 中堅商社・ジード商事の企画調査部に勤務。勤続11年。現在は、商品企画に関する調査や企画書の作成を担当しているが、いつかは自分自身で企画を手がけたいという夢をもつ。同期入社の山本直樹さんとはよきライバル。 生後まもなく失聴(障害等級2級) 望月翔太さん(19歳) 特別支援学校(ろう学校)高等部卒業後、障害者職業能力開発校で1年間の電子機器の訓練を受け、電気・電子機器部品の製造を行っているジード電気に入社した社会人1年生。聴覚障害者の雇用は初めてのジード電気で、夏目部長以下の指導のもと次第に成長していく。 生後まもなく失聴(障害等級2級) 木村美雪さん(40歳) 食品会社・ジード食品の総務部人事課に転職してまもない。成人してから徐々に聴力を失った中途失聴で、発音が明瞭なため、実際よりもよく聞こえていると勘違いされやすい。そんな自分の状況をうまく伝えられずに前職を離職しており、やや自信を失いかけている。 中途失聴(障害等級3級) 山本直樹さん(35歳) 海野大介さんと同じジード商事の管理部に勤務。勤続11年。こつこつとスキルアップのために努力している。 中途失聴(障害等級3級) 花田千穂さん(25歳) 既製服メーカー・ジード社の工場に勤務。勤続3年。熱心な担当者のもとで技術を身につけ、社内手話サークルなども行っていたが、担当者の退職により元気とやる気を失ってしまう。一時は職場定着も危ぶまれるのだったが……。 生後まもなく失聴(障害等級2級) 夏目 豊さん(50歳) ジード電気の人事部長。人事のベテランとしてたくさんの社員の採用や配属を手がけてきたが、障害者の採用は初めて。ハローワークなどの支援機関の支援を受けながら、次第に見識を深めていく。