------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------ 事例4 障害の認識やコミュニケーション面に課題があったが、周囲の関わり方により改善された事例 ------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------ 与野 琢郎さん(21歳) 疾患名: 頭部外傷(主な障害は記憶障害、注意障害、社会的行動障害)、 精神障害者保健福祉手帳2級 受障後は地域の障害者支援施設に通いながら一般就労を目指していたところ、 機械部品の金属加工をしている鈴木金属株式会社(社員数100人)において 職場実習を経て採用された。 事業所と障害者支援施設が連携して、職務上の課題改善に向けて取り組んでいる。 シーン4 - 1 障害に対する自己認識 与野さんは専門学校時代にバイク事故により受傷。 手術・入院を経てリハビリテーションセンターで 6か月リハビリを実施した後、 地域の障害者支援施設へ1年間通いました そこでの作業経験を活かして製造職で 一般就労を目指すこととなりました ちょうどその頃、施設で作業を請け負っていた 機械部品製造の鈴木金属株式会社が求人を検討していると聞き 与野さんの採用を前提として 職場実習の受入れを打診し快諾を得ました 一緒にがんばっていこう はい こちらこそよろしくお願いします 〈機械でのプレス作業〉 神村ライン長 障害者支援施設 保坂指導員 貝野部長 〈部品コードの結束作業〉 与野さんが担当する作業は いずれも定型作業となりました 覚えるまでには時間がかかったものの、 障害者支援施設の保坂指導員と鈴木金属の貝野部長(製造部長兼採用担当) 作業指導役の神村ライン長が連携して指導したことにより これらの作業ができるようになりました 採用されて3か月が経過し 保坂指導員がフォローアップ支援のため会社を訪問しました 作業手順もだいぶ覚えてきたようですね もう大丈夫そうですね そうですね まじめに作業をこなしています ただ… 作業を指導する中で 指導役の神村ライン長が注意すると 本人ができていないことを認めなかったり 言い訳をすることが多いそうなのです 場面1 与野さん プレスした部品はきちんと圧着したかどうか確認して コンテナに入れてと言ったよね ちゃんと言われたとおり やりましたよ 場面2 与野さん、作業場を離れるときは スポットクーラーをOFFにしてね 僕はOFFにしました 他の人がやったんじゃないですか そうでしたか… それがたびたびだと指導する方も大変ですね 新しい作業をしてもらう前に 作業内容を説明したら「できます」と言うので やってもらったのですが 対応できなかったこともあります 与野さんは自分が 高次脳機能障害であることは理解しているのですが 職場など実際の場面になると 何ができて何ができないのか 自分ではわかりにくいようです 当施設で作業していたときは、 ミスや抜けがあるたびに、 その場で本人に伝え、 併せてどう対応したらいいか 指示することを繰り返していました 与野さん まだ組み立てていないものが 完成品に混入していましたよ 僕はちゃんとやってます 他の人がやったんじゃないんですか? このコンテナに完成品を入れるのは 与野さんだけです。 もし他の人が入れたとしても、 仕事としては与野さんが責任を持つことになるんですよ ミスを出さないためにどうすべきか もう一度一緒に確認しましょう 御社で作業する際にもできる限りその場で 本人へフィードバックすることが 改善策になると思います なるほど! さっそく試してみます 私も引き続き 与野さんの様子を見守っていきます 今後も引き続き 相談に乗ってください 根気強く指導を 継続していくことが大切です ---------------------------------------------------------------------------- 解説 高次脳機能障害における障害の自己認識について ---------------------------------------------------------------------------- 他者からだけでなく本人からも「見えない障害」  高次脳機能障害は、これまで障害のない生活を送ってきた人が、脳血管障害や不慮の事故等により負ってしまう障害、いわゆる中途障害です。高次脳機能障害という認知機能の障害により、自分の現状を適切かつ客観的に認識することが困難な状況になると、周囲から「高次脳機能障害がある」「記憶に障害がある」などと言われても、受障前の自分と比較して何ができなくなってしまったのか具体的にわからなかったり、「障害がある」と言われることに納得できない状況が生じてしまいがちです。  第1章で高次脳機能障害は「見えない障害」とありましたが、それは他者から見てというだけではなく高次脳機能障害がある本人自身も同様と言えます。  障害の認識がなければ、障害により「できなくなったこと、できにくくなったこと」を的確に認識することができず、さらには「できにくくなったこと」を回復する取組や、「できなくなったこと」に対する対応手段の必要性も認識できない場合があります。 「できること・できないこと」を実感する体験の積み重ねが重要  リハビリテーションや訓練場面では、本人の障害に対する自己認識をできるだけ深めるため、様々な取組が行われていますが、これらはいわば仮想場面ということもあり、本人が「実際の場面ではできる」と認識してしまうなど、納得するまでには至らないこともあります。障害の自己認識を高めるためには、本人が実際の就労場面、日常生活場面を通じて、できること・できないことを実感する体験を積み重ねていくことがどうしても必要になります。 本人の気持ちに配慮したフィードバックを  以上を踏まえ、事業所においては、「障害の認識がないから就労は難しい」とするのではなく、「ミスをしたこと、抜けが生じたこと」を明確に伝えて、本人の「できなくなったこと、できにくくなったこと」に対する認識を高めていくことが望まれ、さらにはミスや抜けに対する対応策を実践していく中で、改善が図られた場合はそれについてもフィードバックすることが、高次脳機能障害のある方の職場適応を図るためには重要なことと言えます。  なお、フィードバックの際には、本人のプライドを傷つけないように配慮し、「本人自身を評価しているのではなく、本人の行動についての評価であること」を強調してください。高次脳機能障害のある方の中には、このことが理解しにくく、自分自身のことを評価されたかのように誤解してしまうこともあるので留意しておくことが必要です。 シーン4 - 2 感情のコントロール 3か月後―― … 与野さん 少し元気がないようですね 最近、朝から不機嫌な表情で出勤して あいさつを返さないことがあったり 神村ライン長や先輩からミスを指摘されると 不服そうな表情を浮かべて 時には反抗することがあるようです おはよう 与野さん … 結び目がずれてるよ 何で僕だけに言うんですかっ! 問題ないじゃないですかっ 与野さんに対して どう接したらよいかわからなくなっています ミスしたときに部下に注意するのは 当たり前のことですよね 感情的に叱っているわけではないのに… 与野さんは年齢が若く就業経験がないので 会社という組織で働くことを よく理解していない可能性があるようです また、高次脳機能障害の特性の一つに 「社会的行動障害」というものがあるのですが これにより与野さんは感情のコントロールが うまく図れていないといえます 何か解決策がありますか? 次の3つの点に留意していただきたいと思います @ 注意する際は具体的な理由と望ましい行動を説明する A 会社の基本ルールを丁寧に伝える B イライラが募っている時はすぐに注意・指導せず、 気持ちが落ち着いてから話し合う場を設定する 対応策1 ミスや問題のある行動に対して注意をする際は できるだけ具体的にそれらがなぜいけないのか 望ましい行動は何なのかを伝えてください 与野さん自身をいいとか悪いとか言っているのではなく あくまでも与野さんの行動に対する注意であることを 強調してください ひとつずつ確認しながら進めていこう そうすれば自然とミスは無くなるもんだよ 対応策2 出社・退社時にあいさつすることや 同僚や上司とのチームワークを心掛けて お互いに思いやりを持って接することなどの 会社の基本的なルールについて あらためて丁寧に伝えることが大事だと思います ラインのみんながひとつのチームなんだよ お互いに気持ちよく働ける職場にしたいよね また、会社の組織図をわかりやすく示して ライン長などからの指導にはよく耳を傾けること 神村ライン長や先輩は与野さんよりも職務経験が長く職責が上なので 礼儀をもって接することなどについて、 時間を取って説明してみてください ◎組織体制図◎ 社長(役員) 製造部長 貝野部長  営業部長 総務部長 第一製造課 第二製造課 現場リーダー  神村ライン長 同僚 同僚 与野さん 職場での基本的なルールを守る これらを通じて 職場での基本的なルールを守ることの大切さを 伝えることがポイントです 与野さんが 実際にイライラしているときには どうしたらよいのでしょうか 対応策3 了解を取って、コーヒーブレイクを取るなど 作業場を離れていったん一呼吸入れることをお勧めします その後気持ちが落ち着いたら 「イライラしてしまったのはどうしてなのか イライラしないためにはどうしたらよかったのか」を 話し合うようにしてください 神村さん その役割は私が担当するよ 与野さんがラインのみんなの雑談に もっと溶け込めるようにしたり できなかったことを注意するだけでなく 仕事ができたときにほめるなど 我々との心の距離を少しでも 近づけるように努力していきます とてもいいことだと思います さらに 数か月が経過―― 与野さん 今日ほめられたんだって? やったね! あ 神村ライン長 このあいだはありがとうございました 与野さんも周囲の人と 積極的にコミュニケーションを取るようになりました 新しい作業に慣れるまでは面倒なようでも くり返し確認をしていこうね はい 職場での調子はいかがですか? 仕事をしていて イライラすることはありませんか? よく覚えていないですけど、 みんないい人たちばかりだから、 イライラしてません まだ職業人としての生活が始まったばかりです 焦らず一歩一歩進んでいきましょう はい これからもがんばります 最近は周りの同僚と打ち解けていますし 神村ライン長とも信頼関係が築けてきたようです 注意されることがあっても、 以前より素直に意見を聞けるようになってきました 職場のみなさんが理解をもって配慮してくれたおかげです 今回の件ではコミュニケーションを通じて 信頼関係を築くということが 職場でとても大切なことだと、 私自身気づかされました