編集委員が行く 大学におけるすべての「人」のエンパワーメントを目ざした取組み 国立大学法人筑波大学ヒューマンエンパワーメント推進局(茨城県) 筑波大学人間系教授 前原和明 取材先データ 国立大学法人筑波大学 ヒューマンエンパワーメント推進局 〒305-8577 茨城県つくば市天王台(てんのうだい)1-1-1 筑波大学スチューデントプラザ2F TEL 029-853-5948 Keyword:エンパワーメント、障害学生支援、ダイバーシティ・エクイティ&インクルージョン、ジェンダー支援、アクセシビリティ支援、キャリア支援 前原(まえはら)和明(かずあき) 編集委員から  最近は、「障害者雇用をすることは、企業にとってどのような意味や価値があるのか?」という問いへの答えを探している。たしかに、障害者雇用をすることから、多くの企業がさまざまな意味や価値を得ているはずであるが、それがうまく言葉にできていないように感じている。今回は、この問いの答えを探して、大学における障害者のインクルージョンに取り組む筑波大学ヒューマンエンパワーメント推進局を訪問した。大学のこの取組みは、障害のある人との共生社会を実現するための一つの示唆を与えてくれるかもしれない。 POINT 1 「特定のマイノリティ支援」から「すべての人のエンパワーメント」へ 2 組織の垣根を超えた「環境・仕組みづくり」 3 「試行錯誤」を支える支援と組織全体の「文化」としての定着 はじめに  障害者雇用における「雇用の質」の向上の重要性は、職業リハビリテーションの推進を通して達成すべき目標であることに反対する人はいないであろう。そして、いま、企業において、障害者に適当な雇用の場を提供し、適切に雇用管理し、職業能力の開発および向上を行っていくことが必要とされている。  このような「雇用の質」の重要性を述べた文章に対して、もしかしたら、「理念として重要であることは間違いないが、どうすればよいのか?」や「経済活動を行ううえで、現実はそんなに甘くない」などの声も聞こえてきそうである。かくいう私も、この「雇用の質」を高めるための具体的な方法等といった「答え」を十分に持ち合わせていないのが現状である。今回は、「雇用の質」を高めるための取組みを考えるために、人のエンパワーメントをうながすことを目ざした大学での取組みに着目した。この「人のエンパワーメントの考え方」が、もしかしたら障害者雇用における雇用の質を高めるための重要な視点になるかもしれないと期待している。  このような思いを背景として、本稿で取材したのは、国立大学法人筑波大学ヒューマンエンパワーメント推進局(Bureau of Human Empowerment:BHE。以下、「筑波大学BHE」)の取組みである。筑波大学BHEは、「筑波大学で学び、働くすべての人の権利、可能性、多様性を尊重し、個々の能力が最大限に発揮される環境を整えます。また、この活動を通して、人のエンパワーメントを推進する大学の文化を醸成します。」という基本理念に則り、人のエンパワーメントを推進するための組織である(図)。この筑波大学BHEの理念および取組みを一つの事例として学ぶことを通じて、障害者雇用における「雇用の質」を高めるために私たちが心得るべき視点について確認していきたい。 筑波大学BHE  まず、筑波大学BHEについて紹介をする。近年、大学では、大学のなかの障害のある学生の支援に対する取組みを開始している。筑波大学BHEもその一つの取組みとして理解することもできそうであるが、そのあり方には特徴がある。  筑波大学BHEは、「特定のマイノリティを支援する」だけではなく、大学が学生や職員を含む「一人ひとり」の「人のエンパワーメントを推進する」というチャレンジを実現するために、2023(令和5)年1月に設立された組織である。2023年以前から蓄積されてきた大学のダイバーシティ・アクセシビリティ・キャリアセンター(DACセンター:Diversity Accessibility Careerセンター)の取組みを基盤とし、さまざまな特性や能力を有する多様な個人のニーズに応じられるよう、分野を超えた横断的・学際的な視点を取り入れた取組みを開始している。  現在、筑波大学BHEは、おもに「アクセシビリティ支援チーム」、「キャリア支援チーム」、「ジェンダー支援チーム」の三つの運営チームから構成される。まず、「アクセシビリティ支援チーム」は、大学におけるさまざまな部署と連携しながら障害のある学生への修学支援やピアチューターの養成、理解啓発活動や研究活動を行っている。次に、「キャリア支援チーム」は、学生のキャリア形成のための授業の開設、各種イベントなどを通じて、学生一人ひとりが自分自身の思い描く将来に向けて準備できるためのさまざまなサポートを提供している。最後に、「ジェンダー支援チーム」は、「性(Gender)」をめぐるさまざまな社会的・個別的課題について、意識啓発活動や支援事業等を通じて、課題解決に向けた取組みを行っている。  筑波大学BHEの取組みは、このように非常に幅が広い。特に、高等教育機関における発達障害のある学生の支援において、非常に先進的な取組みとなっている。また、筑波大学における取組みは、2022年文部科学省の「令和4年度科学技術分野の文部科学大臣表彰科学技術賞(理解増進部門)」において表彰されている。 理念と具体的な取組み  ここからは、筑波大学BHEの理念と具体的な取組みについてインタビューを通じて、確認をしていきたい。 筑波大学BHE次長(アクセシビリティ担当)佐々木(ささき)銀河(ぎんが)さん  佐々木さんは、筑波大学人間系准教授として、障害学生支援に関する研究に従事しつつ、この筑波大学BHEの次長として、運営の一翼をになっている。  佐々木さんは、自身の障害学生支援に関する専門性を活かしながら、筑波大学BHEの運営にたずさわっている。  佐々木さんは、私たちの健常者と障害者を分けてとらえてしまう見方から少し距離を取ってほしいと提案する。  「近年大学でも、発達障害や精神障害のある学生等の支援が注目されています。しかしながら、私たちは、支援について考える際には、診断の有無だけで人を分けて考えないようにしています。というのも、障害の診断のない人であっても、人としてさまざまな特性を持っているものです。つまり、苦手なことや配慮が必要なことがあるわけです。私たちは、『障害だから』ではなく、『どのようにして人のエンパワーメントを推進していくのか』ということを考えて活動する組織です」  このような多様な人が集まる大学において、人権の尊重を基本として、学生や教職員等が自らの能力を最大限発揮および活用できることを目ざした取組みを行っているそうだ。  そして、エンパワーメントの推進は、個人の努力等に依存するだけではうまくいかないと考えているという。特に意識していることは、「エンパワーメントの推進を個人の活動や変化等の個人の努力に依存するのではなく、エンパワーメントの推進に向けて、個人が活動したり、変化することができるための環境をつくる」ということだそうだ。  このように 筑波大学BHEの実践の背景にある理念には、障害のある学生の専門的支援という範疇だけでは語りつくせないようだ。 筑波大学BHE 業務推進マネージャー(ジェンダー支援担当)河野(かわの)禎之(よしゆき)さん  河野さんは、筑波大学人間系助教として、この筑波大学BHEの前身であったDACセンターのときから継続的に運営にかかわってきた。専門が認知症やリハビリテーションであるにもかかわらず、この筑波大学BHEでの活動からLGBTQ+を含むジェンダー支援に深くかかわっている。  河野さんは、いまでは大きく変わった筑波大学の状況について、筑波大学BHEの設立時の思い出とともに語った。  「ジェンダーに関する専門的な相談をする場所はどこにもありませんでした。顕在化していないだけで、関連する問題が散発していたと思います。このような相談は、学生相談窓口のようなところだけで解決するには限界があります。大学のなかであればまだしも、就職活動や卒業後の社会への移行場面でも、『どのように開示するのか』や『どのような服装やアイデンティティで臨むのか』などの課題として顕在化することになります。多くの学生さんが就職活動で困難を感じたり、場合によっては差別的な扱いを受けたり、その後のキャリアに影響してしまうなどのこともありました」  このようななかで、当時の学長からの意向も受けて、組織が整備されたそうだ。  さらに、さまざまな背景を持つ学生の課題を対症療法的に相談として対応していくだけでなく、アクセシビリティ支援、キャリア支援、ジェンダー支援の三つに横串を刺して、学生を主体として能動的に活動できる組織へと変革していき、現在の筑波大学BHEの組織がつくられた。名は体を表すように、現在は「部門」ではなく「チーム」という名称になっている。また、「タスクフォース」と呼ばれる部署の垣根を越えて大学全体の問題を検討する仕組みもつくられた。筑波大学BHEがすべてに単独で対処するのではなく、大学全体が一丸となって、そこで生活する学生や教職員の課題を解決する体制が整えられてきている。エンパワーメント促進の理念を実現するために、このような仕組みが実際に準備されている価値は大きいように思える。  このような理念等に支えられて運営される筑波大学BHEは、多様で特徴的な活動を行っている。代表的なものとしては次のような活動がある。 ・障害のある高校生等を対象としたオープンキャンパスイベント  大学のオープンキャンパスにおいて、障害のある高校生などを対象とした説明会を開催し、受験時・在学中の合理的配慮や進路選択に関する相談を実施。そのほか、大学生になる自分のイメージを具体化することを目的としたオンラインイベント「じぶんハッタツラボ」や対面イベント「Transition day―あなたの大学生活をデザインしよう!―」の実施。 ・アセスメントに基づく発達障害のある学生への支援技術の貸出し(左写真)  障害の診断の有無にかかわらず、すべての学生を対象としたアセスメントを通じた強みや配慮の検討を実施。学生のニーズに応じた支援技術の貸出し。 ・アクセシブルスタディルーム(自習・休憩室)  大学内に、学生が一人で学習・休憩できるスペースを確保。また、センサリールームを設置し、視覚・聴覚・触覚などの感覚を落ち着かせる環境でリラックスを支える。 ・発達障害の啓発活動  当時所属していたスタッフにより作成された発達障害のキャラクターを利用した漫画を公開し、大学内外の人に発達障害を啓発する取組みを実施。 ・発達障害のある方の支援に関する情報の発信および支援の提供  ラーニング&ライフサポートブック(Learning & Life Support Book:LSB)と呼ばれる、発達障害者の経験に関する情報を収集し発信するWEBサービスを提供。また、SNSで利用できるチャットボットによる当事者支援システムの開発と提供。  これらの取組みは、大学における支援としてだけでなく、企業などで障害のある人が不安なく働くうえでの基礎的な環境整備としてとらえることができ、支援として参考になるものばかりである。 実務を通して感じること  最後に、現在、筑波大学BHEに勤務する堀口(ほりぐち)里奈(りな)さんに、その仕事の意味や価値についておうかがいした。 堀口里奈さん(筑波大学BHEスタッフ)  堀口さんは、筑波大学の学生時代からピアチューターの運営の補助をするなどして、筑波大学BHEとかかわりを持っていたそうだ。堀口さんは、現在、この筑波大学BHEのスタッフの一人として、自らが支援を受けた経験も活かしながら、聴覚障害のある学生への支援のコーディネートやピアチューター養成講座の運営、オープンキャンパス対応や入学相談などを行っている。  堀口さんは、業務の一つである「合理的配慮の情報提供書」の活用をめぐる障害のある学生とのやりとりを通じて考えていることを語ってくれた。  「合理的配慮の情報提供書を作成するなかで感じたことは、障害のある学生さんが自身が必要としている支援を求めることはむずかしいということです。大学なので、当然、専攻によって授業環境が違いますし、担当する先生ごとに授業の進め方も異なります。私たちが障害のある学生さんと、必要な支援について話し合い、環境調整をしていくことになります。例えば、授業内容を文字起こしする支援者を派遣したり、支援機器を貸し出したりするなど、学生さんの意見を取り入れながら支援内容を決定していきます。これが学生さんの障害に対する自己理解につながると思うと、非常に意味のある、やりがいのある仕事だと思っています」  この語りに「自分自身について知る」ことのむずかしさについてあらためて認識させられる。このような堀口さんの経験を通じて、「学生さんがさまざまな体験を通して、試行錯誤できること。この試すことができる場を提供できることが、非常に大事」ということを見いだしていた。  堀口さんのこの発見は、障害のある方の社会参加に向けた支援の視点として非常に示唆に富むものである。  大学は、勉強だけでなく、大学生活を通じて、自分自身について知ったり、卒業後の「社会」に移っていくための準備をしたりなど、さまざまなことを「学ぶ」重要な場所である。それ故に、障害の有無にかかわらず、個人が勉強以外も含めた多くの学びを得ることができるような環境の調整や合理的配慮が必要であるとの考えである。  これはおそらく大学という社会にかぎらないことであろう。人は絶えず学び続ける存在であり、人をエンパワーメントするうえで、この「人の試行錯誤を支えていく」という観点は不可欠の視点である。健常者の雇用において、あたりまえのこととして提供されていることが、障害者だからと提供されないことがあるとしばしば聞くが、区別なく、あたりまえのことを提供していくことの重要性を理解することができる。 まとめ  筑波大学BHEの取組みは、単に大学における障害者も含めたマイノリティの支援を行っている以上の意味があると感じられた。  取材のなかでは、まだまだ筑波大学においても障害のある学生の支援に関して、課題は残っているということだった。「どうしても、『学生支援について、やらなければならないことだから実施する』というような他律的な思考がまだまだ存在していると感じています。『積極的にやりたいわけではないけれども、やらなければいけない』という意識はどうしても広くあります。今後に向けては、大学に関するすべての『文化』を変えていく必要があります」と佐々木さんは語った。  さらに続けて、「障害のある学生を含め、一人ひとりの学生を重要な大学の構成員として認識し、個々の学生の強みを探し、個々の学生に敬意を払い、大学生活を営むことができるような環境をつくっていくという、この認識を一時的な認識で終わらせず、大学にかかわるすべての人が共有する『文化』としていく必要があります。制度や数値目標によって外から求められるだけの取組みでは持続していきません。こうした文化を絶えず育てていくことが必要です。これを続けるなかで、少しずつ文化がつくられてきたと感じる場面も多くあります。学んでいる学生さんを目のあたりにしていただいて、少しずつかかわり方が変わって、人間が変わって、組織風土が変わっている側面もあるかなと思います。十年前に比べて、少しずつ組織文化が変わってきて、いまの取組みが非常にやりやすくなってきているということを感じています」と、組織のなかに「文化」がつくられてきた効果も語った。  今回の筑波大学BHEの取組みは、障害のある学生への大学における支援として、先進的なものであるということができる。その一方で、その支援の本質には、共生社会の実現に向けた視点というものがあるように思えた。本稿の「はじめに」において、私は、「雇用の質」ということを考えていきたいと述べた。「大学だからできること」、「企業と大学は違う」等の考えを一度払いのけて、もう一度、本稿の取組みを見ていただければと思う。  そこには、障害のある人が、さまざまな「社会」で共生するための「あたりまえ」があるように思える。 図 筑波大学BHEの基本理念と行動指針(資料提供:筑波大学BHE) 基本理念 心身ともに人のエンパワーメントを推進する大学文化を 人権の尊重を前提として学生、職員を含む本学構成員それぞれの可能性と多様性を尊重し、マイノリティを取り残すことなく、個々の能力が最大限に発揮・活用される環境を構築する。 これらを通して、心身ともに人のエンパワーメントを推進する大学文化を醸成する。 行動指針 基本理念を「エンパワーメント」の根幹としてとらえ、学内外の組織との信頼関係のもと、構成員が公正・公平にアクセスでき、実効性のある仕組みの構築を目指す。そして、学内外の組織と協働することによって、人の多様性と包摂(ダイバーシティ・インクルージョン)に基づく好循環の価値を創造するため、教育・研究活動に関連する範囲において、次の行動を実行することを行動指針とする。 人材育成 構成員がキャリアに応じて多様な個々の能力を最大限に発揮するための人材育成の支援 環境構築 学内組織との連携を通じて、各組織および個人の目標・目的に応じて構成員を活かす公正・公平な環境構築の支援 啓発活動 構成員が多様な他者を適切に理解・対応するための啓発活動 大学文化の醸成 人の可能性と多様性を尊重し、心身ともに人のエンパワーメントを推進する大学文化の醸成 連携・協力 地域社会及び国際社会との連携・協力による多様性が包摂された社会に向けた戦略的展開活動 写真のキャプション 筑波大学ヒューマンエンパワーメント推進局(BHE)が入る筑波キャンパスの「スチューデントプラザ」 スチューデントプラザ内の相談窓口の一つ 筑波大学BHE次長(アクセシビリティ担当)の佐々木銀河さん 筑波大学BHE業務推進マネージャー(ジェンダー支援担当)の河野禎之さん 発達障害のある学生への支援技術の貸出し例(資料提供:筑波大学BHE) カラーバールーペ 録音機能付きデジタルペン ノイズキャンセリングイヤホン 各種タイマー 筑波キャンパス内に設置されたアクセシブルスタディルームの一つ「センサリールーム」。1人用自習・休憩室として利用できる センサリールームに隣接する共同自習室。アクセシブルスタディルームは、BHEを利用する学生が使用できる 筑波大学BHEスタッフの堀口里奈さん 発達障害の啓発活動の一環で制作されたマンガ「ヒトはそれを『発達障害』と名づけました」(資料提供:筑波大学BHE) 支援情報データベース「Learning & Life Support Book」(資料提供:筑波大学BHE) 学生支援チャットボット「ダボット」(資料提供:筑波大学BHE)