エッセイ 強迫性障害の私が、自分らしく働けるようになるまで 第2回 強迫性障害のまま看護師へ 漫画家・イラストレーター つくし ゆか 看護専門学校卒業後、大分県や福岡県の医療・介護現場で看護師として勤務。2019(令和元)年に結婚を機に鹿児島県へ移住。自身の強迫性障害の体験をもとに漫画制作を開始し、2022年に燦燦舎より『極度の心配性で苦しむ私は、強迫性障害でした!!』、2025年にラグーナ出版より『強迫性障害とともに生きてみた。〜不安が軽くなる30のヒント〜』を出版。現在は県内で講演活動も行っている。 看護師として働き始めたころ  20歳の春、私は看護師として総合病院に就職しました。国家資格を取り、ようやくスタートラインに立てたはずでしたが、そのころには強迫性障害の症状はかなり強くなっていました。  それまで家の中で起きていた「確認」は、職場でも現れるようになっていました。 仕事のなかでふくらんでいく不安  病院は、人の命を預かる場所です。もともと責任の重い仕事ですが、当時の私にとっては、その重さが強いプレッシャーとなっていました。「ミスをしてはいけない」という思いが、頭の中でどんどん大きくなっていったのです。  特に怖かったのは、注射や点滴で使う針でした。処置のあと、きちんと廃棄できているはずなのに、「どこかに落ちているのではないか」と不安になる。また、誤って自分の指に刺してしまったのではないか、感染症にかかってしまったのではないか…。そんな思いに何度もとらわれました。  実際には問題がないとわかっていても、不安は消えません。使用ずみの針を何度も探したり、自分が病気に感染したのではないかと怖くなったりしていました。 がんばるほど、うまくいかない  勤務中、頭の中はいつも不安でいっぱいでした。それでも周囲からみえるのは、「動きが遅い」、「手がとまっている」という姿です。注意を受けるたびに、焦りと不安はさらに強くなっていきました。  「ミスは許されない。だから確認しなければいけない」、そう思って確認をくり返す。しかし、その行動によってさらに注意を受けてしまう。そんな悪循環のなかに、いつの間にかはまり込んでいました。 「〜しなければいけない」がとまらない  もともと私は、大雑把な性格でした。それが、看護学校での実習や国家試験を前にしたころから、「ちゃんとしなければいけない」、「失敗してはいけない」という思いが強くなり、症状が一気に表に出てきたように感じています。  「いい点を取らなければいけない」、「資格を取らなければいけない」、「働くからにはミスをしてはいけない」、そんな“〜しなければならない”という思いが、知らないうちに自分を追い込んでいました。 それでも働き続けていた理由  それでも働き続けていたのは、一人暮らしを続けるためでした。当時は家族との関係もうまくいっておらず、「絶対に実家には戻りたくない」という気持ちが強くありました。  本当は少し立ちどまる選択肢もあったはずです。けれど当時の私は、「せっかく取った資格なのだから、看護師として働かなければいけない」と思い込んでいました。 いちばんつらかった時期  20歳から21歳にかけてが、症状がもっともつらかった時期です。  このころから医療機関にも通い始め、薬を処方されていました。ただ、副作用で強い眠気や吐き気が出てしまい、仕事にも影響が出ていました。続けることがむずかしくなり、自己判断で服薬をやめてしまった時期もありました。 あのころをふり返って思うこと  当時は、「どうにかしていまの生活を続けなければ」という思いで精一杯で、自分の状態をみつめる余裕はありませんでした。  強迫性障害の症状は、日常生活だけでなく、仕事にも大きな影響を及ぼします。そしてそれは、本人の努力や気持ちだけではどうにもならないこともあります。  あのころの自分をふり返ると、「もっと違う働き方や生き方があったのではないか」と感じることがあります。