働く広場増刊号2013
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25「働く広場」増刊号 2013今回の職場ルポでは、障害者週間に開催された本誌「公開座談会」(2012年3月号20〜25ページ)でパネリストを務めた三菱商事太陽株式会社取締役、総務・管理部長の山下達夫さんの発言をより詳しく紹介するため、大分県別府市の「三菱商事太陽株式会社」を訪ねた。IT黎明期に会社設立 日本でまだ身体障害者の就労が難しかったころ、先駆的な試みが大分県別府市で始まった。日本を代表する企業が、社会福祉法人「太陽の家」の創設者、中村裕博士の「世に心身障害者はあっても仕事に障害はあり得ない」、「保護より機会を」の理念に共鳴し、重度身体障害者の働く場をつくったのだ。まず「オムロン太陽」、続いて「ソニー太陽」、「ホンダ太陽」と製造業中心の会社が設立され、さらに「手足にハンディはあっても、頭脳労働においては何らハンディにならない職種。もっと重度の人が働ける場を」と、三菱商事に協力を求め、IT事業の「三菱商事太陽」が1983(昭和58)年に設立された。その3年前、太陽の家の訓練科目に情報処理科ができた。電子部品の組立工場で太陽の家訓練生として働いていた山下達夫さんは夜、コンピュータ技術の訓練に通い、会社設立と同時に入社する。仲間10人でのスタートだった。「中村先生は先見の明がありました。これからコンピュータの時代がくる。君たちが頑張って、もっと多くの重度障害者をIT部門で雇用しろといわれました」時代とともに情報産業は発展し、仕事も増え、社員は別府本社、東京・丸の内事務所、北海道・岩見沢事務所の3事業所で89人になった。本社に75人(うち身体障害者33人、精神障害者6人、知的障害者1人)、東京に9人(うち精神障害者5人)、北海道に5人(うち身体障害者4人)が働いている。初代、二代目社長は太陽の家から、三代目からは三菱商事から出て、現社長の徳田泰彦さんは四代目になる。「会社の設立の目的は、社会貢献として製造業で働けない重度の方を雇用することと、三菱商事の障害者雇用率アップでした。会社のビジョンは、多様な障害者の方を雇用すること、社会に役立つ仕事をしているという実感を社員に持っていただくことです。会社の運営は、10年経ったころからようやく安定してきました」勉強会で空気が変わった本社で、精神障害者の雇用が始まったのは2007(平成19)年のことだった。その年に2人、2008年に1人、2009年に1人、2011年に2人雇用した。東京では、厚生労働省の精神障害者雇用促進モデル事業で2009年からトライアル雇用を始めた。雇用のきっかけを山下さんにお聞きした。「2006年に精神障害者が障害者雇用率にカウントされるようになったこともありましたが、大きな理由は、社会の障害者雇用が身体障害から知的障害、精神障害に広がってきたことです。前任の社長が、これからの障害者雇用は精神障害に向かうという話をしていたとき、県の障害者合同面接会で私どものブースに、精神障害の方とクリニックの看護師長さんがいらっしゃいました。ちょうど経理の募集をしており、優秀な人でしたので、社長と相談して雇用しました」当初、精神障害者の雇用には社内の抵抗があった。「初めての雇用でしたので、正直いって大きな不安がありました。一緒に働くメンバーは身体障害者が多いので、新聞などの報道から、トラブルになったら対徳田泰彦代表取締役社長別府本社で働くみなさん① 自分の障害を受容・理解させるため、障害の状態を入社時に全社員の前で話す② 生活支援センターと連携し就労支援③ 不調時の対応方法を増やし、安易に早退や休暇を認めないPOINTPOINTPOINT(2012年3月号掲載、内容は当時のまま)

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