働く広場増刊号2013
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48「働く広場」増刊号 2013は、まずコミュニケーションが大切だと指摘する。「精神障害の方たちは、たいていはコミュニケーションが苦手です。同じことをいっても伝わり方が全然違うので、伝わるまで伝えます。管理者と本人はまだいいのですが、障害者同士で、ちょっとでも齟そ齬ごがありそうなときはサポートしたり間に入ったり、ずれていると伝えたりします。口頭で伝え、同じことをメールで送り、最後に理解しているかを確認することもあります。面談なども、ず﹅れ﹅をなくしていくための取組みだと思っています」田中さんは、身体障害者と精神障害者への周囲の配慮の違いについて、こう語る。「身体障害者は、まわりが自然と配慮する雰囲気になるのに対して、精神障害者は外から見て障害者かどうかわからないので、そういう自然な配慮ができにくいのが、一般的に難しいところだと思います。精神障害者が症状がよくなって再就職する場としては、混在型の普通の職場よりも、その人の特性を理解できている特例子会社のほうがいいとも考えられます。精神障害の方を敬遠されている特例子会社の担当者から、当初は『本当に大丈夫なの?』と聞かれることがありましたが、『やってみないとわからない』と取り組み、笠置君や工藤君が一生懸命フォローしてくれました」給料分を稼ぎ自立を目指す社員は千葉県内各地から通勤してくる。それぞれの障害の代表の人に話を聞いた。若林邦彦さん(31歳)は、パソコンを使う経験はあったが、事務の仕事は初めてだった。「覚えがちょっと遅いと思っています。知的障害者は私1人なのでスランプに陥った時期もありましたが、支援機関などを利用して大分よくなりました。日報を書くときは1日を振り返って文章を考えるので、書くことで成長したかと思います。ここでずっと働き続けて、いずれは障害者手帳を返納して自立したいという目標があります」警察官をしていた深山昌邦さん(57歳)は6年前に脳出血で倒れた。事件現場の家の間取りなどをパソコンで描いていた経験があり、パソコンを使用した業務を広く担当している。穏やかな表情からは想像できないが、最初は笑顔が出せず鏡を見て練習したとか。「60歳まで働ければいいと思っていましたが、7年後東京オリンピックを有給で休んで見に行きたいという夢がわき、定年延長(継続雇用)を申し入れています」稲垣信一さん(37歳)は、WEB監視およびMRCCの業務担当者を任されている。あるとき身体障害者の相談員をしている叔母に、「障害と闘うのではなく、上手に付き合っていこう」といわれて、それまで「病気」と思っていたことを、「自分らしさ」なのだと認められるようになったという。「病気をオープンにして働いているので、働きやすいですね。でも最初は、障害者雇用ということに割り切れない思いがあって、休みがちでした。アソシエではやる気があれば力を発揮できるので、ほどよい責任感があります。精神障害者保健福祉手帳を持っていても働けることを示していきたい。前向きに生きていきたいです」吉澤祐子さん(24歳)はアソシエが初めての就職先で、業務の支援ツールの保守を担当する。「以前から働きたいと思っていて、ハローワークに行っていたのですが、なかなかうまくいきませんでした。千葉障害者職業センターで、発達障害があるかもしれないといわれ、20歳過ぎてから自分の障害を知りました」精神障害者保健福祉手帳を取得し、障害者枠で職を探していたとき、アソシエの募集があった。「最初はまわりにご迷惑をおかけし、自分でも胃が痛いとか精神的に大変でしたが、ようやく落ち着いてきました」WEB監視業務を担当する稲垣信一さん2020年の東京オリンピックまでは働きたいという深山昌邦さん

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