働く広場2019年7月号
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来のコシヒカリ、酒米「亀の尾」、もち米「大正餅」、「農林22号」と、5種類のコメを生産している。5月初めに行う田植えでは、山の湧水を田に引く。これが最大の滋養となり、越後の風土と気温、日照がおいしい米に育ててくれる。9月から11月にかけて稲刈り。その間、あぜの草刈、病害虫の防除を、障害のあるスタッフとともに行っている。実は田中さんは4年前までは食品会社のサラリーマンで、農業の経験はなかった。ハローワークの求人でUNEを知り、自然が好きで趣味は山登りとあって、UNEの活動に興味を持って転身、米づくりの先輩スタッフ、齋さい藤とう喜き一いちさん(66歳)の実農業者交流協会に勤務し、1991年から同協会欧州支部長としてドイツ・ボンに7年間駐在。海外派遣の農業実習生を受け入れ、世話をするコーディネーター役を果たした。帰国した1999年から2011年まで長岡市議会議員として農業振興、地域の活性化、国際交流などに尽力した。家老さんが歩んだ人生から得た、国際性、越後にこだわる地域性、そこに根ざした農園芸、市議会議員の政治活動から知った障害者就労の必要性、そういったものがバックグラウンドになりUNEの活動が展開されている。法人設立から7年、地域の農園芸のなかから就労につながる特産品づくりが具体化していた。棚田を利用した米づくりは29歳のスタッフ、田た中なか大だい地ちさんの担当。1・7ヘクタール、傾斜地にある28枚の棚田にイモチ病(※)への耐性のある改良されたコシヒカリ、従地域活動支援センターUNEHAUSである。Uはユニバーサル、つまり「普遍的、全体」ということで、年齢、障害の有無に関係なく広くみんなに共通する、という意味を持つ。Nは農園芸、Eは越後を意味する。「越後で農園芸を通して国も性別も年齢も障害の有無も超えてみんなが働き、自立する地域づくりを、という思いを三つのアルファベットに込めた」と家老さんは語る。家老さんの実家は長岡市の米作農家である。1981(昭和56)年に宇都宮大学農学部を卒業し、1983年に農業実習生海外派遣事業でドイツ・ケンペンの野菜栽培農家にて、ジャガイモ、白菜づくりに1年間従事。ドイツ語で日常会話もこなせるようになった。帰国後は国際働く広場 2019.7どぶろくの仕込み作業をする齋藤喜一さんUNEHAUS(上)と農家レストラン(下)棚田を見回る米づくり担当の田中大地さん※イモチ病:イネに発生する主要な病気の一つで、感染すると十分な成長ができなくなる23

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