働く広場2019年7月号
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働く広場 2019.7――有森さんが理事長をつとめる﹁スペシャルオリンピックス﹂︵以下、﹁SO﹂︶日本は、2019︵平成31︶年3月にアブダビで開催されたSO夏季世界大会に、アスリートら日本選手団を100人以上派遣しましたね。 アブダビ大会には190カ国からアスリート7500人、コーチやボランティアを含め約3万人超が参加しました。規模はオリンピック、パラリンピックと変わりません。ちなみに今大会で日本選手団はメダルが金16・銀18・銅10で入賞数は15という結果でした。――SOにかかわるようになった経緯を教えてください。 2002年に東京で行われた、夏季ナショナルゲーム(全国大会)の大会サポーターをお願いされたのが始まりです。私は当時「知的障害のある人たちは、こうした組織がなければスポーツをする機会がない」という話を聞いて驚きました。一方で彼らがこの大会を経て世界大会への出場を目ざしていることを知り、そんなアスリートたちを応援したいと思いました。 その後、理事・副理事長を経て2008年に理事長に就任してから変えたことがあります。大会でのメダル数の公表です。それまでは「オリンピックとは違うのだから勝つ必要はない」、「ナンバーワンじゃなくて、オンリーワンでいい」といった声もありました。そういう時代を経なければいけなかったのはたしかです。記録が最も重要視されるオリンピックだって、そもそもの目的がスポーツを通じた平和の祭典なのですから。 ただ、時代は変わりました。私がSOの世界大会で観戦したバスケットボールの決勝では、負けたチームがすごく悔しがっていました。そして相手チームを称え、応援してくれた人たちに感謝の気持ちを伝えていました。その光景に私は「ああ、オリンピックと同じだ」と感じたのです。そして「オンリーワンでいいかどうか」は、周りが判断することではなくアスリート本人が決めることだと確信しました。 私自身は勝負にこだわりますが、それだけじゃない人もいる。勝ちさえすればいいのではなく、勝つことによって生きていく糧になりうることが大事。負けてもその経験を活かしていける。なにより必要なのは、チャレンジできる機会があることです。「スポーツを通し、彼らのさまざまな可能性を引き出せる」、「経験によって人それぞれ、いろんな価値観や思いを持って、成長していける」、これこそSOが存在する最大の意義だと思っています。――SOをきっかけに、社会生活が変化したアスリートも少なくないでしょうね。 SOで冬季競技にチャレンジした方が、アルバイトから正社員になったという話を聞きました。もともとコミュニケーションが取れる方でしたが、SOの大会でメダルを取るようになって、それを機に社内でもどんどん成長したのでしょ※スペシャルオリンピックス(SO): 知的障害のある人たちに、さまざまなスポーツトレーニングと、その発表の場である競技会を提供している国際的なスポーツ組織。 日本では1980年から活動が広がり1994年にSO日本が設立された。地区組織は全都道府県にあり、8,480人(2018年度末時点)の アスリートが参加している「ユニファイドスポーツ」が共生社会のきっかけに公益財団法人スペシャルオリンピックス日本 理事長 有森裕子さんありもり ゆうこ 1966(昭和41)年、岡山県生まれ。日本体育大学卒業後、リクルート入社。女子マラソン選手として1992年バルセロナ五輪で銀メダル、1996年アトランタ五輪では銅メダル獲得。2007年にプロマラソンランナー引退。国際オリンピック委員会(IOC)スポーツと活動的社会委員会委員、スペシャルオリンピックス(※)日本理事長、日本陸上競技連盟理事。2010年IOC女性スポーツ賞を日本人として初めて受賞。(写真提供:スペシャルオリンピックス日本)知的障害のある人の可能性を引き出すスペシャルオリンピックスSOがきっかけで正社員に2

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