働く広場2019年8月号
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働く広場 2019.8「やればできる」から「やれることを活かす」へ佐藤恵美(さとう えみ) 神田東クリニック副院長、MPSセンター副センター長。 1970(昭和45)年生まれ、東京都出身、北里大学院医療系研究科産業精神保健学修了。 精神保健福祉士・公認心理師。病院勤務などを経て現職。医療現場および社内のカウンセラーとして多くの労働者の悩みに向き合い、職場に対して健やかな職場づくりのための助言をしている。著書に『ストレスマネジメント入門』(日本経済新聞出版社)、『もし部下が発達障害だったら』(ディスカバー21)などがある。*第1回19◆「自責」という呪じゅ縛ばく◆やれることをどう活かすか わが子が小学生のころのこと。忘れものが多く、特に頻繁に制帽を学校に忘れていた。そのため翌朝に帽子がなく、朝の校門チェックで先生に叱られる。「また忘れたの? 毎朝、かぶってくるように」。おっしゃる通り。しかし、それでも忘れてしまう息子が、次第に元気を失っていくことに気づいた。そこで、もし忘れてしまってもカバーできるよう、スペアの帽子を家に用意することにした。これで下校時に持ち帰ることを忘れても、翌朝スペアをかぶって登校できる、というわけである。 さて、こういうやり方には賛否があるだろう。「できないことをごまかす方法を覚えさせてはいけない」とか、「無駄にモノを与えることになる」、「できるようにさせることが大事」などである。それらもたしかに一理あるに違いない。これらの考えの根底にあるのは「やればできるはず」であり、本人の持っている「できる可能性」を強調して、やる気を出させ、問題を克服させようという教育的な働きかけである。しかし一方で、「やればできる」には、「みんなができていることはあなたもできるはず」や、「努力や真剣さが足りないからできない」というメッセージが暗に隠れていて、ときに周囲の想像以上に本人を追い詰めてしまうこともある。 私は、職場のメンタルヘルスが専門であるため、悩みや不調を抱えた多くのビジネスパーソンにお会いする。職場では、高度でマルチな能力が求められる。「先を見通す」、「複雑なコミュニケーションをこなす」、「新奇的なアイデアを出す」、「集中して作業を続ける」などなどである。しかし、それらは、その人が持っている脳の得意不得意の分野によっては、「ちょっと苦手」の域を超えて、かなり努力をしてもむずかしかったり、他者の何十倍も労力を費やさねばならない場合もある。しかし、「やればできる」論だけで押され続けてしまうと、努力や反省を通り越して、最後に行きつくのは「自責」となる。自責は次第に「自分は何をやってもだめ」という呪縛へと変化していく。この呪縛には魔力があり、本来はできることさえもできなくさせ、どんな業務に対しても不安や恐怖がつきまとうようになってしまう。もちろん、初めからできないことを前提に働いてもらうわけにはいかないし、成長のチャンスが与えられることは必要である。しかし、「人には得手不得手の域を超えてどうしてもできなかったり、他者とは違うやり方でしかできなかったり、膨大な労力がかかることもある」と知っておくことも大事である。 昨今は、大人の発達障害が産業保健においても重要なトピックとなっている。大人の発達障害とは、生まれつき脳に発達のアンバランスさがあり、子どものころに診断や支援を受けていた人が成人に達した場合や、診断や支援は受けずになんとかやってきたが、大人になって何らかの問題として顕けん在ざい化かし、診断された場合などである。職場は前述のような、さまざまな能力を必要とされ、業務や人間関係をえり好みもできない。「やればできるはず」、「努力が足りない」、「みんなができることがなぜできない」と自分自身を呪縛し、次第に自責と不安と恐怖が増大し、メンタルヘルス不調に陥ることもある。 子どもの教育も、大人の成長も、「できないことをできるようにする」ことは、もちろん重要だが、できない要因を「本人の努力」だけにせず、「できなくても困らないような工夫」や、「できることを最大限に活用する発想」も同じくらい大事にしたい。これからの職場の在り方のひとつとしては、「できないこと」や「不得意」を改善することに躍やっ起きになるのではなく、むしろ「得意」な潜在能力を見つけ、伸ばし、どう結集させて生産性に結びつけるのか、「やれることをどう活かすか」が、最も重要になってくるであろうと考えている。

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