働く広場2019年9月号
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働く広場 2019.9マインドフルネスに学ぶポジティブの本質とは佐藤恵美(さとう えみ) 神田東クリニック副院長、MPSセンター副センター長。 1970(昭和45)年生まれ、東京都出身、北里大学大学院医療系研究科産業精神保健学修了。 精神保健福祉士・公認心理師。病院勤務などを経て現職。医療現場および社内のカウンセラーとして多くの労働者の悩みに向き合い、職場に対して健やかな職場づくりのための助言をしている。著書に『ストレスマネジメント入門』(日本経済新聞出版社)、『もし部下が発達障害だったら』(ディスカバー21)などがある。*第2回19 昨今、「ポジティブ(positive :明確なはっきりした 実際的な)」という英単語は、すっかりお馴な染じみになった。もはや日本語と化したかと思うほどに「プラス思考」、「楽天的性格」などを表現する際に多用されている。メンタルヘルスの分野でも「ポジティブ・メンタルヘルス」という考え方が示され、不調者だけでなく、すべての人を対象として心も体も健康でイキイキと生活するための幅広い活動として注目されている。これらの言葉の使われ方からも、「ポジ」は積極的で前向き、「ネガ」はその対極概念、というイメージが一般的であろう。 さて最近、私がカウンセリングを行っている方がとても興味深い話をしてくれた。かの有名な﹃夜と霧﹄の著者、フランクルの隠れた名著﹃それでも人生にイエスと言う﹄という書籍の一節に「現実的」という言葉が使われており、その横に「ポジティブ」というフリガナがあった、というのである。彼のいわんとすることは、すぐに私に伝わった。というのも、彼が新たな生き方を獲得するためにたどり着いた一つの重要なワードが、マインドフルネスの考え方に基づく「いま、目の前の現実だけ見ること」だったからだ。 「マインドフルネス」とは、「いまこの瞬間」にだけに意識を向け、呼吸法や瞑想を用いて、何も主観や評価を加えず「ただ“そのもの”をみて」心を整える方法である。心が塞ふさいだり、不安になったり、怒りや妬ねたみ、自責などを感じるのは、人はそこに「良い悪い」、「好き嫌い」などと自ら主観や評価を与えたり、他者からみた自分を意識したり、他者と比較したり、「ああすればよかった、こうなったらどうしよう」と過去や未来を思考するなどして、心を乱すからである。だから、主観や評価や比較や過去・未来への不毛な思考を交えずに、「いま、ただ、そのものを見る」ことが心の安あん寧ねいにつながる、というわけである。「ただ、そのもの」とは、「あるがまま」とも言い換えられる。「あるがまま」は「在る、が、そのまま」まさに主観や評価の色を何もつけない「現実そのもの」ということなのである。 「マインドフルネス」は、もともとは2600年前にブッダが苦しみを滅めっする方法として提唱した瞑想法に由来し、禅や武道など人が精神統一をはかる多くの日本文化のなかに息づいている。ここ30年ほどは、宗教色を排した心理療法として確立され、欧米を中心に治療や教育などのさまざまな分野で応用されている。さらに昨今では、ストレス低減、集中力や思考力アップなどの効果から、ビジネスパーソンにも役立つと考えられ、欧米企業などでは、社員教育の一環として組織的な取組みも行われるようになっている。 話は戻るが、一般的に「ポジティブ」の日本語的な解釈では、前向き、積極的、強みなどが主であるが、フランクルの著書のなかで見つけたワードは「現実的」と結びついていた。つまり、「ポジティブ」とは、物事を前向きやプラスに転じようとするものではなく、「ただそこにあるそのまま(現実)をみる」ということこそが本質なのだ、と私たちは腑に落ちたのである。 今日一日を振り返ってみよう。人はいかに勝手な主観の色をつけて生きていることか。「客からクレームをいわれた(自分の評価が下がるのでは? → 恐怖)」とか、「上司に業務を頼まれた(やったことないが自分にできるのか? → 不安)」、「客からの電話に対応した(自分ばかり損している → 怒り)」などなど、起こった現実に当然のように勝手な主観をくっつけ、それを種にした負の感情によってストレスを自ら生んでいる。「ただ目の前の現実だけをみて、必要な対応をすればいい」というシンプルな方法こそが、実は究極の「ポジティブ」なのかもしれない。

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