働く広場2019年9月号
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私の仕事の原点は「精神科病院で患者さんを看みること」でした。36年前に精神科病院に看護職で勤務することになった私は、精神科病院に対しマイナスなイメージがありました。なぜならそのころは、「宇都宮病院事件」(※1)という日本の精神保健福祉に影響を与えた事件の後でもあったからです。精神科医療が世間から注目され、閉鎖的な病棟での看護を見直そうとしていた時代です。私が勤務していた病院でも、精神障害のある人たちは入院治療が中心であり、長く入院しているのが当たり前でした。当時は、精神科病院において「退院」という言葉はあまり身近ではなかったような気がします。「病気や障害がありながら働く」など、まったく想像できないような状況でした。退院をしたとしても、病院内にあるデイケアに通所して生活リズムを整えたり、地域の作業所に通うことは夢のようなことであり、私の周りでは、就労を支援する施設や、そうした取組みを応援していこうという人など、ほとんど見られませんでした。病院を辞めてから、私は研究所で学ぶことになりました。当初は、病気や障害のある方ではなく、そのご家族を支援する「心理教育」に取り組んでいたのですが、ACT(包括型地域生活支援プログラム )(※2)や、IPS(個別就労支援プログラム) (※3)が日本に導入されるにあたり、現場のチームリーダーとして取り組むようになりました。それ以来、就労支援や復職支援(リワーク)などにかかわることが増え、現在では障害者職業センターや障害者職業訓練校、クリニックなどに赴おもむき、さまざまな取組みを行っています。私は、就労支援に取り組み始めたころから、どんな病気や障害であっても「働きたい」という、その人自身の希望を応援してきました。仕事に就くことも大切だと思いますが、「働きたい」という希望を持つことで、自分自身が動く、何かに進むということが、その人自身のリカバリー(※4)に影響をしていくと思っているからです。しかし、せっかく就職しても辞めてしまう人や、復職支援に関わっていてもなかなか企業に戻れない人も多くいました。理由を考えてみると、対人関係でのトラブルが多いことに気づきました。また、雇用者の方々とのやり取りの際に「対人関係がもう少しうまくいけば」と耳にすることが増えたのです。就労支援をしている施設や機関などは、「働くための技術を身につける」という点から、パソコンのスキルや、作業を円滑に行うための工夫を行うなど、その取組みには脱帽してしまうくらいの素晴らしさがあります。しかし、企業の方とやり取りをしていると、「仕事の技術は入社してから身につけることもできる」という言葉をいただくこともあり、雇用対人的なスキルを身につければOffice夢ゆめ風ふう舎しゃ 土屋 徹「働きたい」を応援する※1 宇都宮病院事件:1983(昭和58)年に、栃木県宇都宮市にある精神科病院で、看護職員らの暴行によって、患者2人が死亡した事件※2 ACT(包括型地域生活支援プログラム): Assertive Community Treatment。重い精神障害があっても、地域社会のなかで自分らしい生活を 実現・維持できるよう包括的な訪問型支援を提供するケアマネジメントモデルのひとつ※3 IPS(個別就労支援プログラム):Individual Placement and Support。本人に「働きたい」という希望があれば一般の職に就ける、 という強い信念に基づいてサービスを提供する就労支援モデル2

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