働く広場2019年10月号
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働く広場 2019.10「連携」の在り方に思う佐藤恵美(さとう えみ) 神田東クリニック副院長、MPSセンター副センター長。 1970(昭和45)年生まれ、東京都出身、北里大学大学院医療系研究科産業精神保健学修了。 精神保健福祉士・公認心理師。病院勤務などを経て現職。医療現場および社内のカウンセラーとして多くの労働者の悩みに向き合い、職場に対して健やかな職場づくりのための助言をしている。著書に『ストレスマネジメント入門』(日本経済新聞出版社)、『もし部下が発達障害だったら』(ディスカバー21)などがある。※ 正鵠を射る:物事の急所を正確につくこと*第3回19 昨今、親の手によって幼い子どもの命が奪われる痛ましい事件が続いている。報道では、虐待の詳細や親の素性などが盛んに流されるとともに、関係機関の対応の是非についても取り沙ざ汰たされることになる。そこでしばしば指摘されるのは、関係機関の「連携不足」である。「情報が申し送りされていなかった」、「情報は伝達されたが、認識が甘かった」、「いった、いわない、聞いていない」など、どれを取っても「連携」が失敗したことに因よるといえるだろう。もちろん、こうしたことは児童福祉領域にかぎった問題ではない。医療、保健、福祉、行政、一般企業、どこにおいても他者、多職種、他組織との連携は不可欠であり、不適切な対応は、ときに人の命や生活の危機、多大な損失、訴訟などにつながる大事件となる。 さて、医療における「連携」の重要性は、80年代ごろから注目されるようになった。ある医療文献検索サーチでは、70年代にわずか40件だった「連携」という検索キーワードは、80年代には200を超え、90年代にはその約10倍、2000年代にはさらに10倍で2万件を超え、ここ10年ではさらに4万件を超えている。まさに「連携」は、医療においてロングランな重要トピックであるといえるだろう。しかしながら、それらの文献における「連携」の中身を見ると、多職種が「協働」した場合や、他機関が相互に「情報の開示」をした場合、はたまた医師同士が「文書をやりとりしたのみ」なども含めて、すべて「連携」と称していることがわかる。つまり、「連携」の解釈はかなり幅が広く、個人、組織、職種、症例によって、そのとらえ方が異なるのだ。「連携して進めていきましょう」は、医療、保健、福祉分野の常じょう套とう句くだが、そのとらえ方が関係者間で異なることの無自覚は、重大な齟そ齬ごの温床となるだろう。 そもそも、言葉の定義としての「連携」は、「連絡提携」の意であり、「連絡を取り合い、同じ目的で物事にあたること」とある。この定義からもわかる「連携」の重要なポイントの一つは「目的を同じくすること」である。つまり、向かうべき方向や出したい結果を、関係者間で同じくしていなければ連携は成立しない。ここで落とし穴となるのは、特に医療、福祉分野などにおいては、その目的が「言わずもがな」になりやすいことだ。関係者それぞれが当たり前と思い込んでいる「望む姿」を、各おの々おの「言わずもがな」の支援目標にしていることで、関係者間に微妙な足並みのズレを生じさせたり、本質的な支援目標は何かを見失わせてしまう危険がある。何を目標とすべきか、それに向かうそれぞれの関係者の役割は何か、状況に応じて目標が再設定されているかなどを常に明確化し、関係者がベクトル合わせをしていく必要がある。 二つめのポイントは、連絡を「取り合う」という「相互関係」だ。一方的な伝達や、書類だけの通知は「取り合う」に当てはまらない。昨今、ルール通りに対応することや、それを書面に残していることが「適切な対応」の証明として優先され、生きた情報をやりとりすることが、おざなりにされていると感じることが少なくない。刻々と変化する対象者の状況をキャッチし、対象者の心情をくみ取りながら、本質的な支援目標を常に検証し、関係者がそれらを共有するためには、関係者間の即時的な「やりとり」が必要であることはいうまでもないはずだ。 昨今、どの分野においても、専門性やそれぞれの役割が細分化され、より高度な技術の提供が目ざされるようになっている。だからこそ、それらをつなぐ正せい鵠こくを射た(※)「連携」は、ますます不可欠になるだろう。不適切な「連携」が、不幸な結果を生まないために、いま一度その在り方を真しん摯しに見直すべきであろう。

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