働く広場2019年10月号
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大熊さんから返事が来たことに驚いたものの、思いもかけない「大学院進学」という提案が、これまでのリハビリ中心の生活を卒業するきっかけになると思い、国際医療福祉大学の大学院へ進学を決意した。大学院では、作業療法士というリハビリテーションの専門職でありながら、社会福祉については何も知らなかったことに気づかされた。そこで、大学院在学中に1年間休学して、デンマークのエグモント・ホイスコーレに留学することにした。ここは、フォルケホイスコーレという、デンマーク特有の成人教育機関の一つである。留学のきっかけは、大学院の講義でデンマークの話題が出たことと、井手さんの探求心旺盛な性格、そしてここでも大熊さんの「デンマークへ行ってみては?」というアドバイスに背中を押されてのことだった。エグモント・ホイスコーレは、1970年の設立時から障害者と健常者を分けない統合教育を開始しており、学校は、障害者も健常者も支障なく暮らせるよう、設備もケアも整備されている。障害があり介護が必要な生徒には、健常者の生徒がヘルパーとしてつくことが可能く普通の生活を送ってきた。井手さんの母親には軽い運動障害があり、子どものころから〝障害〞という現実をそばで見てきたことから、「人の役に立てるような仕事に就きたい」と作業療法士の道を選んだ。その自分が交通事故により障害者となり、いろいろな人の支えを必要とする立場に変わってしまったのだ。当初はやり場のない悲しみや苦しみでいっぱいだったが、生せい来らいの前向きな性格で、事故後2カ月も経たないうちに次のステップを考えるようになった。また、「障害者となった自分の想いや考えをうまく他人に伝えることができない」という課題も見つかり、それを解決する手段として、マスコミ、特にジャーナリズムへの関心が深まっていったという。井手さんは、とりあえずインターネットで「福祉・ジャーナル」というキーワードを検索してみた。すると「大熊由紀子」という名前が目に留まったという。初めて見る名前だったが、国際医療福祉大学大学院の教授だという大熊さんに、自分の想いをまとめ、メールを送った。数日後、大熊さんから「大学院に来て少し勉強してみないか」との返事があった。井手さんは、事故後5年が経過したが、いまも痛みと痺しびれは続いており、井手さんは「自分の体は胸から下がコンクリートに浸かっているような感覚」と語る。現在は、車いすで自力移動でき、ADL(日常生活動作)もほぼ自立、自動車運転免許も取得し、愛車でのドライブを楽しんでいる。 25歳で交通事故に遭あうまでの井手さんは、大病を患ったこともなく健康で、ご大熊由紀子教授との出会いデンマークへ留学働く広場 2019.10自室での井手公正さんリハビリと就労に向けたトレーニングを行う井手さん23

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