働く広場2019年12月号
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働く広場 2019.12名古屋駅から地下鉄で四つめの千ち種くさ駅から徒歩7分。文字通り閑静な住宅街の一角に、蔦つたのはう青い壁が目を引く小さな工場がある。金属精密加工を手がける「有限会社進工舎」だ。工場でつくり出される部品は千種類を超え、取引先は電力会社や鉄道会社など15社以上にのぼる。「規模が小さいので量産はできませんが、細かい仕様や少量加工に対応できるのが売りです」と話すのは、代表取締役社長を務める田た中なか誠まことさん。1938(昭和13)年に創業した祖父から数えて三代目にあたる。「地域の町工場は後継者不足で次々と廃業しているのが現状ですが、幸い、当社は業績も伸ばしており、いまは30代の次男も後継ぎを宣言し、専務として働いています」従業員は社長を含め14人、うち半数近くの6人が、障害のある従業員(精神障害2人、発達障害2人、知的障害1人、高次脳機能障害1人)だ。田中さんが障害者雇用にかかわり始めたのは1997(平成9)年。きっかけは、従業員と近所付き合いのあった50代半ばの男性だった。以前勤務していた会社をバブル崩壊後に退職しており、「どこかに再就職させたいが、知的障害があるかもしれない」と心配した80代の母親とともに、田中さんの元へ相談に訪れた。病院での受診をすすめたところ重度の知的障害があるとわかり、療育手帳を取得。前職で進工舎と同じような仕事をしていたこともあり、実習を経て採用、定年までの19年間働き続けることができたという。翌1998年には、精神障害のある人の雇用にふみ切った。これは、進工舎も含め愛知県内4500社ほどが参加する「中小企業家同友会」の存在が大きかったという。このなかの障害者自立応援委員会(当時の障害者問題委員会)から精神障害のある人の「模擬就労」の受入れ先を探していると聞き、すでに雇用経験のあった田中さんが手を挙げた。模擬就労は、名古屋市の精神保健福祉センター(以下、「センター」)が手がける施策の一つ。参加した男性は、東京の会社で営業職だったものの統合失調症を患って辞めたという経緯があった。センター側から精神障害のある人に対する配慮内容などについて説明を受け、まず「会社に行って、仕事をして、帰る」ことを目標にしたという。職場では1時間仕事をして1時間休憩という勤務の形をとった。無事に1週間を乗り切った男性から「もう少し働きたい」という希望が出たため、厚生労働省の「障害者トライアル雇用」制度(以下、「トライアル雇用」)を活用した。当時、この制度を利用した愛知県内の会社は進工舎が初めてで、新聞などでも紹介されたという。「このときは初めてのトライアル雇用利用者のためか、ハローワークや愛知障害者職業センター、医療機関の方たちも2週間ごとに集まり、その男性と面談したり経過や今後のことを話し合ったりして、とても手厚いフォローをしてくれました」男性は半年間のトライアル雇用も無事に終え、2011年まで13年間働いたが、体調を崩して長期入院し離職。田中さんはいまも定期的にお見舞いに行っている。障害者が半数近くの町工場22年前から実習生を受入れ一人ひとりに合わせた勤務条件で「働き続けられる」職場にそれぞれの持ち味を活かしつつ、全員で作業調整も障害のある従業員の「働いてみる機会」を増やし、地域の雇用を促進123代表取締役社長の田中誠さん1POINT5

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