働く広場2020年2月号
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働く広場 2020.2発達障害とともに学ぶということー特性を活かす覚悟ー 25年前からワークライフバランス(WLB:仕事と生活の調和)に着目した、ダイバーシティ、WLB分野の第一人者。これまでに海外10数カ国を含む、国内のダイバーシティ・WLB先進企業1050社、海外の150社を延べ4000回、訪問ヒアリングし、約1万社の企業データを分析。 また、コンサルタントとして、実際に1000社以上の企業の取組推進をサポートする一方で、内閣府や厚生労働省などの官庁や自治体の委員を歴任。*【第2回】内閣府地域働き方改革支援チーム委員(兼務 株式会社東レ経営研究所)渥美由喜(あつみ なおき)※小1プロブレム:小学校に入学したばかりの1年生が、集団行動がとれない、授業中に座っていられない、         先生の話を聞かないなど、学校生活になじめない状態が続くこと19 前回、わが家に伝わる宮大工の教えを引用しながら、問題児だった私に親がどう接したかを述べた。今回は、小学校での恩師とのかかわりなどから、私がどう学んだかを述べたい。 小学校で最初の担任になったO先生が、私の生涯の恩師だ。私の問題行動は相変わらずで、2年生になっても友だちと教室で取っ組み合いをし、先生は「喧嘩をしたいのなら、外でやりなさい!」と激怒したことがあった。言葉の裏が読めない私は、「先生が外に行けって。砂場で決闘しよう」と渋る相手を引っ張っていき、しばらくやり合ったものの「観客がいないと、つまらないね。喧嘩はやめて、遊ぼうよ」といい出す始末。 大人になり、「小1プロブレム」(※)と聞くたびに、当時のわが身を思い出して、O先生に申し訳なくなる。ある日、算数の時間になっても国語の教科書を読むことに熱中し、最後まで読み切った私にO先生が近づく。「また叱られる」と身構えた私に、「昔だったら飛び級で2年生にしてあげたのに、残念ね」と、向ひまわり日葵のような笑顔。そしてO先生は私の母にも「好きなことへのバイタリティーと集中力はすごい。きっと将来、あの子は大成しますよ」といったのだった。 問題児の私が、親以外の人に認められた初めての経験だった。O先生の言葉と柔和な笑顔は、40年経ったいまでも昨日のように思い出す。問題児だった私を減点主義ではなく、加点主義で認めてくださったO先生には感謝の気持ちでいっぱいだ。 加点主義は、子育てでよくいわれる「褒めて伸ばすと同じ」とよく誤解される。しかし、安易に褒めて本人の自己肯定感ばかりが高まると、現実とのギャップの大きさで、かえって本人のためにならない面もあると思う。 その子の長所を認めることは大前提として、本人がその長所を伸ばせるような言葉がけは、必ずしも「褒める」だけではない。ADHD、アスペルガー症候群の私は、幼いころから整理整頓や人の気持ちを読むのが苦手な一方で、好きなアニメは最初から最後のセリフまですらすらと一言一句再現できた。時折、TVなどでそういう子を“天才児”と持ち上げる光景を見るが、わが家は違った。「そんなのは8㎜ビデオだってできる。大したことない。どう活かすかだ」 映像記憶があるから勉強は得意か、というと違う。小学生時代の私の脳内は、宇宙創生期のビッグバン状態。関心範囲がすごい勢いで拡張していたので、ドラえもんの秘密道具『暗記パン』が何枚あっ発達障害者を活かす「加点主義」長所を伸ばす言葉がけは、「褒ほめる」だけではない発達障害とともに生きていく「覚悟」ニューフロンティアに導くものても、散らばって収集がつかない。だから、テストでまったく点が取れない。成績は伸び悩み、4年生の夏休みに、頭と心がパンクしそうになった。半日泣き続けたが、親は助けの手を差し伸べてはくれず、放っておかれた。自分の強みは何だろうと自問自答するなかで、「自分の居場所は自力で確保するしかない」と小さな悟りを開いた。発達障害の有無にかかわらず、周囲があえて手出しをせずに静かに見守る忍耐を持つことも大切だ。 以後、“ひたすら覚え込む”勉強ではなく、書いてあることを自分の頭で考えて、「何がわかって、何がわからないのか」を整理しながら、自分だけの百科事典を頭のなかにつくっていった。 そして脳内の百科事典の該当箇所に、いつでも瞬間移動できるよう、自ら特訓した。以降、百科事典を参照しながらテストを解くのでカンニングと同じ。成績は飛躍的に向上した。 周囲の理解とサポートはもちろん大切だが、本人が自らの特性と向き合い、活かそうという覚悟も必要だ。発達障害のある者をニューフロンティア(新しい開拓地)に導くのは「JFK」、すなわち「J=自律」、「F=俯ふ瞰かんする視点」、「K=葛藤と、格闘し続ける、覚悟」と呼んでいる。33

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