働く広場2020年2月号
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トした。各地の取組みを見学し、静岡県の社会福祉法人を見学したときに、障害のある人が釜炊きの石鹸を黙々と製造する姿を見て、神原氏は「障害のある人も製造のにない手になれる」と衝撃を受けた。そして、長野県に障害のある人と石鹸づくりをしている師匠がいると聞き、青野さんと泊まり込みで石鹸づくりを学んだ。そこでは、障害のある人たちが目を輝かせて働き、自分たちの会社に誇りを持って働いていた。その姿を見て神原さんは「こんな会社にしたい」と思い、設立予定の特例子会社で扱う商品は石鹸にしようと決めた。設立場所は苦労の末、コムテック創業者の出身地でもある小田原に決まった。社名は、「心と心が点ではなく線でつながった関係」という想いを込めて、「リンクライン」とした。いよいよ、特例子会社設立の目途もつき、「元気で明るい人大募集」と募集をかけたところ、行列ができるほどに応募があった。 設立してすぐ、「小こ春はる日び和より」という自社ブランドで良質の石鹸製造を始めたものの、当初は月200個の製造販売で一人分の給与にもならず、他社ブランドの製造受託が中心だった。少しでも収益を得ようと、本社から清掃業務や一般事務(名刺作成など)を受注したり、農園での野菜栽 まずは、特例子会社設立の経緯について、神原さんと青野さんにお話をうかがった。リンクラインの親会社である「コムテック株式会社」は、IT系を活用したアウトソーシングなどのサービスを提供する会社だ。コムテックでは以前、障害者の法定雇用率未達成企業としてハローワークからの指導が何度か入っており、いよいよ社名公表目前となったとき、同社の人事部長を務めていたのが神原さんだった。社名の公表は株価に影響する可能性もあり、社命として障害者雇用に取り組むことになった。障害者雇用について調べるうちに、1カ所で集中的な取組みができる「特例子会社」を設立することでもっとも早期に課題解決ができると結論づけ、特例子会社の設立を親会社の社長に進言し、青野さんを相棒にする了解も取りつけた。しかし当時は、ほかの特例子会社のように親会社から切り出せる業務はほとんどなかったうえ、神原さんは障害者雇用の知識もなく、障害のある人と接したこともなかった。また、特例子会社で何の業務をするか、場所はどこにするか、何も決まっていなかった。そこで、全国各地のモデル的な取組みを学ぼうと、青野さんと2人の全国行脚が沖縄からスター小田原駅で伊豆箱根鉄道の大だい雄ゆう山ざん線に乗り換え、4駅先の穴あな部べ駅から歩いて2分、田園風景の広がるなかにある「株式会社リンクライン」を訪問させていただいた。この日は多くの見学者があり、うかがったときも2組の団体に対して、リンクライン取締役会長の神かん原ばら薫かおるさんと、代表取締役の青あお野の真まさ幸ゆきさんがそれぞれ、熱心に説明されていた。これから障害者雇用に取り組もうとする会社や、当事者のご家族など、全国からの見学者が毎日のように途絶えないという。私たちは、この日の最終見学(取材)で、神原さんと青野さん、社員のみなさんからお話をうかがい、素敵な石鹸づくりの製造現場を見せていただいた。リンクラインの見学特例子会社設立の経緯設立後の厳しい数年間株式会社リンクライン働く広場 2020.2リンクライン取締役会長の神原薫さんリンクライン代表取締役の青野真幸さん本気になって自分事として、障害者雇用に取り組む高品質の商品追及により、誇りをもって仕事に取り組む特例子会社単独での事業の黒字化と長く働くための仕組みを整える123POINT21

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