働く広場2020年3月号
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働く広場 2020.3発達障害とともに働くということ ―長所を伸ばし才能を磨く― 25年前からワークライフバランス(WLB:仕事と生活の調和)に着目した、ダイバーシティ、WLB分野の第一人者。これまでに海外10数カ国を含む、国内のダイバーシティ・WLB先進企業1050社、海外の150社を延べ4000回、訪問ヒアリングし、約1万社の企業データを分析。 また、コンサルタントとして、実際に1000社以上の企業の取組推進をサポートする一方で、内閣府や厚生労働省などの官庁や自治体の委員を歴任。*【第3回】内閣府地域働き方改革支援チーム委員(兼務 株式会社東レ経営研究所)渥美由喜(あつみ なおき)19 前回、私がどう学んだかを述べた。幼少時の私の特性の一つだった「映像記憶」があるのに成績が伸び悩んだ挙句、小学4年生のときに「自分の居場所は自力で確保するしかない」と腹をくくり、脳内百科事典をつくるようになってから成績が向上したと書いた。 誤解がないように強調しておきたいのは、親が私に話した通り、私自身も「映像記憶自体は大した能力ではない」と思っていることだ。インターネットの草そう創そう期きに、私はこのネットワークシステムを見て「小学生のころの、“暗記パン”が散らばっていた自分の脳内世界みたい」と感じた。つまり、現代社会では、映像記憶がない人にも、それに似たインターネットという武器がある。 そのうえで、「自分という軸を持ち、玉ぎょく石せき混こん交こうする情報を取捨選択するスキルを身につけないと、情報におぼれるだけ」というのは小4時の私のみならず、インターネットを利用する人全員に当てはまるはず。 映像記憶のメリットは、社会人になったころ、2時間程度の会議であれば脳内記憶を再現するだけで議事録が作成できて、楽ができた程度だ。いまはICレコーダーもあるし、いずれ自動書記ソフトが普及すれば、簡単に代替されてしまうことだろう。 前回述べた勉強法で、大学受験の全国模試で1位、2位になったとき、両親から努力自体は褒ほめられたものの、「解答が存在する問題で満点をとっても、しょせん問題作成者にはかなわないし、社会への貢献はゼロ。未解決の問題に挑戦して初めて役に立つ」、「わかりやすい才能はまだ半人前。周囲にわかりにくくなるまで才能を磨け」と励まされた。 だから、社会人になり、だれも見向きもしなかった研究テーマである、“ワークライフバランス(WLB 仕事と生活の調和)”、“ダイバーシティ(多様性・多面性のある人財を活かす経営戦略)”に着手した。当時は日陰どころか、まったく役に立たないと馬鹿にされたが、四半世紀が経過したいま、コンサルタントとして日々の糧かてを得ている。 私が両親に感謝しているのは、だれの目にもわかりやすい短所や長所に一いっ喜き一いち憂ゆうせずに、他人にはわかりにくい長所をひたすら伸ばす方向で、叱しっ咤たしてくれたことだ。「わかりやすい能力」ほど、すぐに機械やAI(人工知能)に模倣・代替されてしまう。いまさらながら、30年前に両親からいわれた言葉は含がん蓄ちく深いと思う。 最初の勤務先だった金融系のシンクタンクは、朝、部の掲示板に「部内会議、午前2時スタート」と書いてあるような長時間労働の職場。そんな職場で「WLBの研究に取り組みたい」と申し出たのは、いまから30年近く前の入社2年目。 上司には鼻で笑われた。「おまえはバカだなぁ。ワーク・ワークで大成功を収めてきた日本企業がWLBなんて、やるわけがないだろう。何がWLBだ。俺なんか、ワーク・ワークでわくわくしちゃうぞ、ワッハッハ!」……。 通常、上司から猛反対を受けたら引き下がることだろうが、私にはそんな殊しゅ勝しょうな心持ちはない。上司と一緒にゲラゲラ笑いながら、「ワーク・ワークでワクワクってうまいですねぇ。でも、もしかしたら、奥さんはワークとライフがバラバラざんす、と嘆いているかもしれませんよ。“ワーク・ワイフ・バランス”の方は大丈夫ですか?」と余計な一言。痛いところを突いてしまったようで、上司は苦虫をつぶした顔になり、研究禁止命令が下された。 そこで、私はやむなく終業後の趣味としてWLBの研究を開始した。少しでも早く帰宅したかったので、「やめる、簡単にする、真ま似ねをする、してもらう(他部署に業務移管、外注など)、一緒にする」の五つの方法で業務効率を高めた。私はこの方法を、頭文字をとって「やかましい」と呼んでいる。十数年後に父の介護が始まり、息子の看護も加わって、何とか仕事を続けられたのは、このように効率のよい働き方を体得していたからだ。わかりやすい能力はすぐに代替されるわかりにくくなるまで才能を磨け「人と同じ考えや感じ方ができない」という強み

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