働く広場2020年6月号
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働く広場 2020.6私は、今年で50歳を迎える発達障害の当事者である。学生時代は考古学者を目ざしたが、計算が苦手で測量ができず、遺跡の仕事を諦あきらめた。大学卒業直後に結婚して以来、整形外科やグループホームなど、医療・介護にかかわる仕事に就いていた。しかし、仕事、育児、社会生活などを通じてだんだんと社会不適応に陥おちいって鬱うつ病になり、それをきっかけとして32歳で発達障害と診断された。その後、発達障害に関する啓発活動をスタート。再び四年制大学に進んで、精神保健福祉士や社会福祉士などの国家資格を取得した。以来、心理社会教育をベースにしたオリジナルの資料をつくり、日本全国津々浦々さまざまな人に向けて、各場面において「発達障害について、どのように理解・対応すればよいのか」を具体的に、わかりやすく、面白く解説する講師として14年間活動している。また、8年前から神戸市より委託を受けて月に一回、発達障害の当事者や保護者を対象としたピアカウンセリング(※)のカウンセラー・相談員としても活動中である。途中、就労移行支援事業所で一年間、常勤の職業指導員も経験した。ふり返って考えるに、私の過去の就労経験の「すべてがダメだった」わけではないように思う。例えば、仕事の内容が理解しやすく、先の見通しが立ちやすく、ある程度自己の裁量を任され、かつ、周囲の人が私の長所を認めてくれている職場では、それなりに仕事ができることも多かった。仮に何か失敗したとしても、双方の関係構築ができていれば、そこまで問題にならずにやり直しもできた。そこは発達障害と診断される前も後も変わらない。では、診断前後で違いがあるとすれば、それは何か。診断前の私は、自分のうまくいかない部分について客観的になれず、卑屈になりやすかった。苦手なことの一部について、「個人の努力だけではどうにもできない」ということを知らなかったし、すべてが自分の努力不足と思うことも多く、不安だらけで弱かった。周囲がよかれと思ってアドバイスしてくれても、それを素直に聞き入れる余裕もなく不安が増大し、信用してもらえていない気がして不満に思ったり、被害妄想的になったり、方策をシンプルに考えることもうまくできなかった。周囲のアドバイスも的確ではないものが多く、私の特性を理解せず、いわゆる「根性論」的な話や説教など、納得がいかないこともあった。しかし診断後は、自分が苦手としているもののなかには、個人の努力だけでは改善がむずかしいものもあるとわかり、少しずつ客観的に自分の身の丈で物事を考えることができるようになった。苦手なことにぶつかっても、以前と違い工夫することもできるようになり、素直に人に聞く、ツールを使う、だれかにお願いする……など、それまで不便だったことが、少しずつ軽減されてきた。一例をあげよう。私は計算が苦手なこともあり、そもそも式を立てること自体がむずかしく、計算機ですら答えを導き出せないことがある。こればかりは、どんなにがんばっても時努力だけではどうにもできない「逃げる」のではなく、「避ける」発達障害の理解啓発に関する講師笹森理絵「発達障害だから働けない」という前に※ピアカウンセリング:障害のある当事者同士が、情報を共有したり、互いを精神的に支え合うことで自立を目ざす、           仲間(ピア)同士のカウンセリング2

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