働く広場2020年7月号
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とねっとに加わり、その活動を通じて障害者雇用促進協議会に参加している。前任者を継いで、2019年度からセンター長を務める。支援機関としては協議会のプログラムに専門的な見地からかかわることが多いという。そんな湯浅さんから見て協議会によるネットワークの魅力は、青年会議所のような通常の障害者支援業務ではあまり縁のない人たちとの関係ができること。ユニバーサル就労の今後の展開に向けて、かかわりが持てることの意義が大きいという。もちろん、構成メンバーが広がれば広がるほど、一方で関係性が薄まっていくことには留意していかねばならないと強調する。精神障害者支援の豊富な経験から、精神障害者の就職件数は伸びているが、それでも緒しょについたばかりだという。障害者就労支援は、障害種別によってはある程度ノウハウが積み上げられ「パッケージ的」に提供できる状態にはなっている。ただし、精神障害者の就労支援については、一般論を伝え続けるだけでなく実際に「平ひら場ば」で話し合っていくことの重要性を強調する。「平場」は個別の「職場」であることも少なくないだろうが、協議会もまた、そのような性格を帯びた舞台であるのかもしれない。世田谷区の障害者施策と就労支援ネットワークを概観したうえで、協議会会長知ることになったという。2013年に前協議会会長が退任する際、後継者は、それまでの活動から期待が寄せられた石田さんに白羽の矢がたった。「障害のある方とともに働くうえで、『特別な対応が必要であり、とてもむずかしくてできない』という風潮を感じ、その誤解を解く活動ができればとの気持ちで会長に就任させてもらった」と石田さん。常に他人と接するには「笑顔と笑い声」がとても重要と感じていることから、障害のある方とはそれが特に必要だと感じる経験をしたという。協議会の活動の場面では、「額に皺しわを寄せて緊張している姿ではなく、仮に健常者しかいない場面でも、そばに障害のある方がいるつもりで『笑顔と笑い声』のある活動をしようと思った」と語る。協議会の活動での手応えをうかがうと、「初めて障害者雇用に取り組んだ企業に事例発表をしていただくと、『障害者の指導やその働く姿を目にすることを通して健常者の仕事意識が向上した』と一様にいわれる。障害者雇用にたずさわってきて本当によかった」と協議会の意義を強く実感するという。「企業が障害者雇用を行うなかで、まじめに取り組んでいただければ、トライ&エラーで構わないと思う。そのうえで課題や問題が発生したときは、障害者にその原因を見出すのではなく、一丸となって迅速かつ最善の取組みをすることが重要」。また、「障害者雇用を支援するうえの石いし田だ彌わたるさんにご登場いただく。新型コロナウイルス感染症拡大防止の観点から遠隔でのインタビューとなったが、実は、2017年2月に世田谷区が主催した「せたがや障害者・まち交流塾」のパネルディスカッションでご一緒させていただいたことがある。そこでは、パラリンピックを基軸に、協議会会長として障害の有無を超えた交流のまちづくりを熱く語っていた姿が印象的だった。石田さんは、2016年まで、惣菜や弁当を製造・販売する会社「利り恵え産業」の会長を努めていた。同社では1980(昭和55)年ごろに創業者の助すけ川がわ貞さだ三ぞう氏が、社員の親戚に依頼されて知的障害者を雇用。当初は、社員は障害者の対応に自信がなく反対の意向だったが、創業者の熱意で実現した。石田さんは当時のことを「障害者のレベルに合った仕事と環境を整えることは、障害のない人の個性に合わせることと同じであり、雇用前に心配した苦労はほとんどなかった」とふり返る。その後も肢体不自由や聴覚障害者など、紹介された障害者はすべて採用し、法定雇用障害者数を継続して達成。あえて一番苦労したことを挙げるなら、「障害者に接することを敬遠する障害のない同僚の意識を変化させることだった」と話す。協議会については、発起人団体の一つである東京青年会議所世田谷区委員会から、石田さんに障害者雇用に取り組む企業のОBとして「障害者雇用の実態」の講演を依頼され、初めて協議会の存在を現会長の協議会とのかかわり働く広場 2020.7世田谷区障害者就労支援センターしごとねっとセンター長の湯浅順子さん世田谷区の障害者交流イベントで講演する石田彌会長(写真提供:世田谷区役所)22

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