働く広場2020年8月号
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働く広場 2020.8講演活動の様子 結婚2年目、28歳のときに保育園へと向かう通勤途中の交通事故により頸髄を損傷し、重い障害が残った。 生きる希望を失いかけたなか、2006年に新しい命を授かり、無事に第1子を出産。車いすで家事や子育てをしながら、全国で実体験に基づいた講演活動や、「埼玉県家庭教育アドバイザー」として子育て支援活動をしている。 著書に、『ママの足は車イス』、『ちいさなおばけちゃんとくるまいすのななちゃん』(ともに、あけび書房)がある。又また野の亜あ希き子こ 『ママの足は車イス』著者/元幼稚園教諭・保育士19  退院して数カ月経つと、友だちとの外出が徐々に楽しめるようになってきました。しかし、外出時の排泄はいつも不安でした。自宅のトイレと高さや手すりの位置が少し違うだけで乗り移りが困難で、導尿(数時間おきのカテーテルを使った排泄)に時間がかかりました。友達を1時間も待たせてしまったり、床に落ちて抱き上げてもらったりしたこともあります。しかし、次第に排泄が自立してくると、外出に自信が持てるようになってきました。 いまでは、外出時のみ留置カテーテル(カテーテルの先につけた収尿器に尿がたまる仕組みになっていて、尿がたまったらトイレに流す)を使用しています。失禁の心配がなく、トイレがあるかないかを逐一確認しなくても長時間その場に滞在できることで、さらに外出が楽しいものとなりました。  たとえ障害があっても、いつかお母さんになることが夢でした。その日が思いがけず早く訪れ、ハイリスクな妊娠出産となる私は喜びと不安で胸がいっぱいでした。 出産の際も、頸けい椎ついの手術をした病院でお世話になりました。この病院には、ハイリスクの妊娠に対する医療や新生児医療を行うことができる総合周産期母子医療センターがあったからです。リスクの一つであった切迫早産の症状が現れ、出産前の4カ月間は車いすには乗らず、ほとんどベッドの上で生活していました。 出産は帝王切開で行いました。予定日より1カ月早かったものの、母子ともに健やかに2006(平成18)年5月2日、2306gの女の子を出産しました。周囲の協力を得ながら試行錯誤の育児。娘が幼いころは思うように世話ができず、母として挫折と葛藤の日々でした。しかし、親として人として私を成長させてくれている子育ては生きがいそのものです。早いもので娘はいま中学2年生です。  車いすママの子育てとして、私生活がメディアで取り上げられるようになったことをきっかけに、講演の依頼をいただくようになりました。福祉や人権などをテーマにしたお話や、小学生から高校生までの学生を対象にした講演では、愛や命、人生などをテーマにお話しさせていただいています。その活動は全国へと広がりました。新幹線、飛行機、どこへ行くにも一人で出かけられるようになり、一人で宿泊することもあります。講演活動から得た自信は大きなものです。 以前の私は、健常者が一人前、障害者は半人前、私はどんなにがんばっても健常者のような一人前にはなれないと思っていました。障害者の私は「もうだれの役に立つこともできない」と自分が哀れでならなかったのです。そのようななか、戸惑いながらも引き受けた講演でしたが、次第に私だからこそできる講演という社会活動にやりがいを感じられるようになりました。講演が終わると、「これからもがんばってください」と励ましの言葉や「勇気と感動をありがとうございます」と感謝の言葉をかけてくださる方がたくさんいらっしゃいます。生きているかぎり、たとえどんなに小さなことでも人のお役に立てるということは、何よりの喜びと感じています。(つづく)*【第二回】重度障害とともに~子育てと講演活動から得た自信、そして生きがい~講演活動から得た自信とやりがい不安だった外出先での排泄母になる夢が叶って

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