働く広場2020年8月号
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も少なく、町もお店などは普段と変わりありませんでした。清原れい子(以下、清原)私は東京に住んでいるので、4月・5月で電車に乗ったのはそれぞれ1回だけ。もっぱら自宅の周りの公園を歩いてまわっていました。おかげで普段は気づかない町の風景や自然の多さが目に入り、新しい発見がいくつもありましたよ。 アウトドア大好き人間としては自粛生活はたいへんでしたけれど、時間だけはたっぷりあったので、「職場ルポ」の30年をふり返ってみるよい機会にもなりました。樋口 さて、お二人は長年にわたって『働く広場』の専門委員として取材や編集にもかかわってこられましたが、そもそものきっかけは何だったのでしょうか?小山 私はもともと「株式会社岩波映画製作所」にいましたが、岩波のグラビア雑誌『世界』で障害者を取り上げ、障害者用タクシーを取材したのが始まりです。それがきっかけで当時の『働く広場』の関係者の推薦で、1977(昭和52)年の10月から『働く広場』に加わりました。『働く広場』はその年の3月が創刊でしたから、ほとんど創刊と同時にかかわってきたことになります。日本短波放送(現・日経ラジオ社)のディレクターであり、当時の障害者雇用どのコーナーで取材を重ねてこられた、ルポライターの清原れい子さんである。今回は、小山さんの地元の岡山県でのインタビューとなった。6月に入って、ようやくすべての都道府県で緊急事態宣言が解除(※1)され、油断はできないが、私も何とか新幹線で岡山県に来ることができた。しかし、小倉から東京行きの「のぞみ」に乗ったが、1車両の乗客は10人以下で車内はガラガラ。こんな光景は初めて見た。日本中でいわれている「3密」状況は避けねばならず、部屋の換気やマスクは必需品となり、インタビューも一定の間隔を空けて行ったが、インタビュー中は、あえてマスクだけは取らせていただいた。樋口克己(以下、樋口)当初4月を予定していたインタビューが6月になってしまいましたが、小山さんや清原さんは新型コロナウイルスの緊急事態宣言中はどうされていましたか。小山博孝(以下、小山)家の周りで草取りや農作業をしたりと、2月以降は今日までまったく外出していませんね。私の住んでいる岡山県津山市は感染者当初、私の取材は4月を予定していたが、4月は新型コロナウイルス感染症の感染拡大がピークを迎え、全国的に、さらには世界的に感染者が増加の一途をたどり、日本でも全都道府県に「緊急事態宣言」が出されるなど、人の移動が厳しく制限され、取材どころではなくなってしまった。加えて経済活動が低迷し、倒産する企業も多く出て「どうやって雇用を守るか?」に各社は必死の状況であった。現在もその流れは変わらず、世の中では「新しい生活様式」という言葉が定着しつつある。私の取材もこの影響を受け、企業の取材は現状では不可能と判断し、大きく方向転換した。今回の「編集委員が行く」は、2020(令和2)年3月に『働く広場』を退任された元専門委員のお二人に、長年にわたる取材経験から得た知見と見聞をインタビューという形でおうかがいし、読者のみなさまに「雇用にはさまざまな形がある」ということを知ってもらいたいと思い、お集まりいただいた。お一人はカメラマンとして『働く広場』の創刊直後からかかわってこられた小山博孝さん、もうお一ひと方かたは「職場ルポ」な新型コロナウイルスの影響を受けて経験から得たものの大きさ働く広場 2020.8インタビューは個人間に距離(ソーシャルディスタンス)をとって行われた。(左から)樋口克己編集委員、清原れい子さん、小山博孝さん※1 2020年5月25日21

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