働く広場2020年8月号
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の第一人者であった大おお野の智とも也やさんと「職場ルポ」に参加して、これから障害者雇用は重要になると感じましたね。それで岩波を退社してフリーになり、『働く広場』をお手伝いした次第です。それからですので43年にもなりました。清原 私は1981年の国際障害者年に、ラジオの障害者雇用番組でレポーターの仕事を始めました。「職場ルポ」は1987年、大阪府の「パナソニック交かた野の株式会社(当時の交野松下株式会社)」への取材が最初です。当時は障害者など、いわゆる弱者(弱い立場の人)から社会を見ると、多くの矛盾が見えてきました。障害者を取り巻く状況がいまとはまったく違い、障害者が働くこと自体がマイナーな時代でしたね。現在は、大企業がCSRあるとき、障害のないパートタイマーの従業員が「なぜ障害者より給料が安いのか」といってきたことがあったそうですが、「障害のある人たちの作業を見てくれ!」の一言で納得したそうです。 また、知的障害者が検査工程をになうと見落としがなくなり、品質管理も抜群によくなった。取引先からも絶対の信頼を得ている。工場長が話した「障害者と一緒に働くのが楽しい」という考え方、熱意に圧倒されました。取材の際、私が基準としている障害者雇用の姿勢は「最低賃金の適用除外(※2)申請をしているかどうか」です。いくらカッコいいことをいっても、最低賃金の適用除外を申請していると、彼らを一人前として見ていないのではないかと思います。それは本当の雇用とはいえませんよね。取材先の企業が本気で真剣にやっているかの見極めも大事だと思います。小山 障害者雇用は企業の理解力と協力(社会的責任)や法定雇用率の関係で、障害者の雇用を行うのが当たり前ですが、昔は「働く」といっても、障害のある人を、「かわいそうだから」と中小企業が中心となって雇用していた時代でした。長年取材を続けてこられたのは、障害者雇用と真しん摯しに向き合う事業主に「人間としての生き方」を教えられたり、障害のある人の仕事ぶりに脱帽したりと、多くの感動の出会いがあったからだったと思います。樋口 過去をふり返ってみて、雇用の現場に行かれたときに感じたものは、どういうものだったのでしょうか? 清原 私が特に感銘を受けたのは、栃木県にある「JSPモールディング株式会社」を取材したときです(2004年7月号「職場ルポ」で取材)。発泡ポリプロピレンを原料にして断熱材、包装資材、車のドアパッドなど多くの製品をつくっているのですが、そこでは多数の知的障害のある人たちが働いていました。その人たちへの「工夫」がすごい。数えきれないほどの驚きがありました。人間関係を重視し、仲間意識の醸成によって生産性を上げていく。それによって重度障害のある人を一人前のワーカーに育てている。常にあらゆる可能性に挑戦し続けていました。健常・障害の区別なく、一人前の仕事ができれば一人前の給料を払う。働く広場 2020.8小こ山やま博ひろ孝たかさん日本写真家協会会友。「株式会社岩波映画製作所」の写真部を経て、独立。1977(昭和52)年から『働く広場』にたずさわり、「グラビア」や「職場ルポ」、「編集委員が行く」などのコーナーの撮影を担当。2020(令和2)年3月まで、本誌の専門委員として活躍した。2004年7月号掲載 職場ルポ「JSPモールディング株式会社」※2 最低賃金の適用除外:障害者雇用では、都道府県労働局長の許可を受け最低賃金を適用除外             することができる22

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