働く広場2020年10月号
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あると相手に責任があって、自分は悪くないと考えていましたが、学んでいくなかで、すべての間違いの根本は自分にあると気づかされました。そこから会社の立て直しに入れたので、同友会がなければ、いまのような会社にはなっていなかったですね。三鴨 私は同友会での学びで、仲間との交流が大きな意味を持つと感じていますが、みなさんはいかがですか?比嘉 私は障害者雇用に取り組みはじめたころから、「障害のある方と知り合う機会が少ない」と思うようになりました。だからもっと知り合うこと、学び合うことを続けていかなければいけないと思い、そのためにはどうしたらいいか、みなさんと話し合いました。私が初めて参加したような、支援者のみなさんが開催したフォーラムを、企業発信でやってみたらどうかという案を出したのです。全国のいろんな例も含めて、企業が障害のある人たちを雇用するための発信をしようと。そこで、地元の支援者の方、保護者のみなさんからご意見を聞きながらつくり上げていって、沖縄県名護市の市民会館に120人くらいが集まり、第1回目のフォーラムを開催しました。連携の必要性も感じたので、ハローワークや市きに、障全交の実行委員に抜擢されました。当時の感想や、いまの自分の活動にどういう影響を及ぼしているか教えてください。榎本重秋(以下、榎本)入会のきっかけは、「株式会社バニーフーズ」(神奈川県)創業者の故高たか橋はし良りょう治じさんの例会報告を聞いたことでした。大企業ではなく、普通の中小企業で積極的に障害者雇用をしているバニーフーズという会社があるのだと知って感銘を受けました。そして「こういう人がいるなら」と、2011年9月に入会し、バニーフーズの高橋さんがいろいろ教えてくれました。その2年後、「障全交in神奈川」の開催が迫り、気づいたら分科会を受け持つことになっていました。障全交の実行委員会も最初は人が少なかったのですが、だんだん協力者が増えて、見事に700人近い方に集まっていただけました。入会早々、とてもよい経験をさせてもらいました。三鴨 榎本さんは障害のある方向けの保険屋さんですが、同友会に入会して、経営が変わった部分はありますか?榎本 それはありますね。私は保険会社のサラリーマン出身で、プライドも高かった。社員に対しても、「見てれば理解できるでしょ」なんていう態度でした。入会して、私もすぐに経営指針作成部会に参加し、自分の経営を見つめ直す機会を与えてもらいました。社内でトラブルがことを体現しているところが「障害者問題委員会」なのではないかな、という感覚です。ここをきちんと勉強しないと、経営指針をやっていても、つながっていかないのだろうなという思いが、活動すればするほど強くなっていきましたね。三鴨 「経営指針」という言葉が出てきました。経営指針を学んでいる人はたくさんいるはずですが、障害者雇用に結びつけている人は、そんなに多くないですよね。奥脇 障害者雇用を結びつけているつもりはないですね。障害者という限定したくくりで活動するのではなくて、社員といかに幸せな道を探っていくかが、僕らの考える真しん髄ずいなのかな、と思います。そこに障害の有無は関係なくて、いろんな社会環境で就労がむずかしい人たちに対して、中小企業家ができることは何だろうかと真剣に考えたときに、僕らにもできることがあるのではないか、そういうことを実現するというだけの話。だから、「障害者雇用をやったから偉いんだ」ではなくて、そこに至るまでの経緯とか、社会背景とかを考えるプロセスが重要なのではないか、という感覚を持っています。三鴨 榎本さんは入会したばかりのと知り合うこと、学び合うこと神奈川同友会 全国大会の成功と自身の変化働く広場 2020.10奥脇 学さん(大阪同友会/有限会社奥進システム)榎本重秋さん(神奈川同友会/ぜんち共済株式会社)23

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