働く広場2020年11月号
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働く広場 2020.11――35歳のときに国の指定難病﹁重症筋無力症﹂と診断されたそうですね。 ある日、なんとなく体が重いなあと思っていたら、自分で立ったままズボンをはけなくなりました。そして瞼まぶたも重くなってモノが二重に見え、顔の表情がつくれなくなりました。病院で働いている友人に相談したら「神経内科に行ったほうがいい」といわれ、そこで告げられた病名が「重症筋無力症」でした。これは体の筋力が弱くなってしまう自己免疫疾患の病気です。 おもな治療はステロイド薬の服用でした。当初は1カ月ぐらいで退院し、すぐに元の生活に戻れるだろうと思っていました。ところが病状は悪化し胸腺摘出手術も受け、退院は7カ月後でした。 それから自宅療養を経て、知り合いの会社で経理の仕事を始めました。週1日勤務から少しずつ増やし、2年後には週5日7時間勤務、たまに残業を含め10時間勤務をこなす日もありました。それが知らぬ間に負担になっていたのか、再就職から3年たらずで再発。勤務時間や日数を減らしても回復せず、再入院しました。ただこのとき幸いだったのは、万が一のときに備え、自分しか知り得ない情報をなくすため、ファイリングで「見える化」しておいたことでした。難病患者は、自分が突然いなくなることを想定しながら仕事をすることも重要です。結局、発症から6年間に3回入院し、3回目のときには会社も解散、41歳で無職になりました。――あらためての求職活動は、いかがでしたか。10年ほど前は、私たちのような難病のある者が求職活動をしても、ほぼ門前払いでした。ハローワークで障害者求人担当の方が対応してくれましたが、企業にかけた電話で「重症筋無力症という難病患者で、障害者手帳は持っていません」というと、その場で断られてしまうパターンが20社以上にのぼりました。 指定難病には障害者手帳を取得できる場合もありますが、かなりかぎられています。私も一時、病状が悪化して車いすになったとき主治医に相談しましたが、「その状態が最低1年半以上続かないと認定されない」といわれ、諦めました。次第に私は、「企業にとって一般雇用しにくい人材であるならば、自分たちで組織をつくり、複数の企業から仕事を受注し、給料ではなく売上げを得るしかない」と考えるようになりました。 そして2009︵平成21︶年に、仕事仲間の9人で設立したのが「合同会社パッショーネ」です。会計業務を中心に請け負いましたが、難病患者は私だけだったので、治療面で仕事の融通も利きやすいのが大きな利点でした。ちなみに最初に契約できた取引先は、求職活動中に面接で難病を告げて不採用になった会社。ずっと気にかけてくれていたのが、ありがたかったですね。難病患者が働くためにはNPO法人京都難病支援パッショーネ 理事長上野山裕久さんうえのやま ひろひさ 1967(昭和42)年、和歌山県生まれ。同県立古こ座ざ高校卒業、京都府内の会計事務所で10年勤務。2003(平成15)年、35歳のときに指定難病の重症筋無力症を発症。2009年に「合同会社パッショーネ」を設立し、難病患者の就労を支援する活動もスタート。2011年に「NPO法人京都難病支援パッショーネ」を設立。2013年から就労継続支援A型事業も開始。http://npo-passione.org/35歳で難病と診断2

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