働く広場2020年11月号
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働く広場 2020.11大分県中津市にある「日豊製袋工業株式会社」(以下、「日豊製袋」)では、おもにフレキシブルコンテナバッグ(以下、「フレコン」)と呼ばれる袋状の包装資材の開発・生産や検査を行っている。物流や倉庫保管などに使われる一般用のほか、原発事故による汚染土壌用の特殊な製品も手がけてきた。もともとは肥料袋の縫製事業を柱に、総合商社である兼松株式会社の子会社として1962(昭和37)年に設立されたが、その後に独立。いまでは海外5カ国(ニュージーランド、中国、台湾、韓国、タイ)の企業とも提携しながら幅広く事業を展開している。従業員60人のうち障害のある人は17人(身体障害4人、知的障害12人、精神障害1人。2020〈令和₂〉年8月現在)。平均勤続年数は16年、長い人になると30年を超える。工場では、裁断のほか縫製補助、縫製、梱包、事務に分かれて全員が一緒に働いている。障害者雇用を始めたのは、50年以上前にさかのぼるという。前社長の友とも松まつ研けん二じさんが、会社敷地内のたき火にあたりに来ていた知的障害のある青年に雑事を頼んだところ、しっかりやり遂げる姿を見て「明日から君は社員だ」といって雇うことを決めたそうだ。それ以来、地元の中学校や特別支援学校、ハローワークなどから採用し続けてきた。研二さんの長男で、代表取締役社長を務める三み樹き男おさんは、「子ども時代から、障害のある従業員が工場で働いていました。私にとっては、障害の有無に関係なく、どの従業員も親戚みたいな存在でした」とふり返る。三樹男さんは、三菱化成株式会社に就職し、研究員として染料の開発などを手がけていたが、10年ほど勤めたあと日豊製袋に入社した。研二さんからは、工場長として障害者雇用の担当も命じられた。「社会人の一人として仕事ができるように育てる」という父の決意に沿い、三樹男さんもこれまで、会社独自のやり方で、障害のある人の雇用と自立支援に取り組んできた。まずは工場内の様子から紹介していきたい。平屋の工場に入っていくと、さまざまな機械が稼働する音が聞こえてくる。あちこちにミシンが点在し、それぞれ二人一組で作業していた。一人がミシンに座って袋を縫う役、もう一人はミシンを挟んで立ちながら袋を動かす役のようだ。日豊製袋では、障害のある従業員と健常者がペアになって作業することを基本としている。入社から3カ月は、指導係がマンツーマンで仕事を教えながら、本人の性格や得意なことを見極めたうえで「どの作業を、だれと組むか」を決める。指導役はおもに高齢従業員に任せていると三樹男さんが説明する。「社員・社会人としての心得やルールなどを、親や祖父母のように親身になって教えてくれて、新人は自然と職場になじんでいきます。そして、障害のある従業員には体力のいる作業を任せるなど、互いに支え合う関係になっています」予想以上にメリットを感じる出来事もあった。ある日、高齢の従業員が縫製用の糸を選ぼうとすると、知的障害のある若い従業員が、両手でそれを阻止した。高齢従業員のほうが「なにをするんだ」と怒り気味でいうと、その若い従業員は汚染土壌用フレコンなど開発・製造二人一組で支え合う関係ペア作業で仕事内容や職場ルールを身につけ、長所も活かす家庭や地域の協力も得て、安定した就労のための生活環境を整える一人ひとりの社会的自立を目ざした長期的な指導・支援体制123代表取締役社長の友松三樹男さんPOINT5

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