働く広場2021年2月号
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働く広場 2021.2――車いすユーザーの橋本さんが入社するまでの経緯を教えてください 私が勤めている「愛知玉野情報システム株式会社」︵以下、「玉野システム」︶は、「玉野総合コンサルタント株式会社」︵以下、「玉野総合」︶と愛知県、名古屋市の共同出資により第三セクター方式で、1987︵昭和62︶年に設立され、1989︵平成元︶年に玉野総合の特例子会社となりました。重度身体障害者の雇用モデル企業として誕生してから33年、現在は社員25人のうち障害のある社員は17人います。 私自身は、高校卒業後の19歳のときに交通事故にあい、1年ほど入院して、リハビリと生活訓練を行いました。病院の職員の方たちから「若いのだから働いていかないとね」と助言され、入院中に車の免許を取得しました。愛知県瀬戸市にある身体障害者向けの寮が完備された自動車教習所で、取得するまで約2カ月かかりましたね。 退院後は障害者職業能力開発校に1年通い、情報処理系を中心に学びました。ただ当時は、私のような車いすユーザーが働ける会社は、まだまだ少なかったのを覚えています。仕事そのものはできても、職場にバリアフリー設備がないから無理というケースばかりでした。玉野システムのような企業があって本当によかったと思いました。――職場ではどのような仕事をしていらっしゃいますか。 おもに地図を書く作業を担当しています。なかなか現場には行けないので、玉野総合の社員が測量してきた結果をもとに、パソコンで製図しています。 これは業務課としての仕事ですが、私は昨年から総務課主幹の役職もつき、両方の業務を並行してやっています。ちなみに業務課の課長も、車いすユーザーです。当初は玉野総合や県などから出向してきた社員が管理職を務めていましたが、だんだん私たちだけで運営していけるようになっていると思います。2020︵令和2︶年6月には玉野総合の本社ビルに移転し、業務の打ち合わせも行いやすくなりました。 私は勤続28年ですが、社内では3番目ぐらいの古株になりました。重度の身体障害のある人は、加齢にともなう体力減退が早いのか、60歳になる前に退職を選ぶケースも少なくありません。会社では在宅勤務制度の導入を進め、最近も、通勤困難となった筋萎縮性側索硬化症の社員が、「それでも働けるうちは」ということで完全な在宅勤務に切り替えました。ほかにも週20時間以下の契約社員に切り替えた人もいます。 今回のコロナ禍かでは、テレワークの推進により玉野総合も50%の出社率となりましたが、玉野アビリンピックの実績、社内業務の拡大にも愛知玉野情報システム株式会社 総務課主幹橋本忠雄さんはしもと ただお 1970(昭和45)年、愛知県生まれ。1992(平成4)年に愛知玉野情報システム株式会社入社。プライベートでは車いすバスケや陸上競技に挑戦し、1999年にタイで開催されたフェスピック(アジアパラ競技大会の前身)には、1万mマラソン競技に出場し銀メダルを獲得。リハビリを経て愛知玉野情報システムに就職通勤が健康につながる14

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