働く広場2021年5月号
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働く広場 2021.5ネストレーニングからパソコン技能、情報リテラシー、ストレス軽減などセルフヘルピングまでを実践的に学んでもらう。講師役の社員が精神障がいの当事者であることも特徴だ。このプログラムの第1期生だった高たか橋はし綾あや子こさん(42歳)は、そのまま富士ソフト企画に入社した。高橋さんは、短大在学中に統合失調症を患い、やむなく退学。しばらくは薬の副作用で起きられないほど辛い日々もあったという。「それでも母がたまに外に連れ出してくれて、少しずつ回復していったと思います」と語る。デイケアに通った後、作業所でパンづくりをしていたが、母親が市役所で支援プログラムのことを知り、すすめてくれた。「プログラムを修了したとはいえ、入社直後はわからないことだらけでした」とふり返る高橋さんは、10年以上にわたり採用業務を担当し、いまは企画開発部の採用チームサブリーダーを務める。実習生を受け入れたときは、視覚障がい者のフォローをしたり、不安にならないようランチを一緒に食べたりと「昔は気が回らなかったことも、いまは対応できるようになりました。まだまだですが」と語る。月1回通院して薬を服用しているが、働き続けてこられたのは「忍耐力でしょうか」と笑って答える。「私は被害妄想がありますが、社内でなにかいわれていると感じても、それに慣れるというか、引きずらないようにします。母に『気にしない、気にしない』と明るく励ましてもらったのもよかったと思います」母親は2年前に他界したが、高橋さん自身は立派に自立しているようだ。早起きが苦手と明かすが「朝しんどいと思っても、なんとか始業時間の9時までに間に合わせる」という。「しっかり朝からフルタイムで働くことで達成感を得られ、体調も崩さないので、9時出勤を守っています」。休日も「だらだら寝続けないように」と、必ず予定を入れているそうだ。 高橋さんが「いろいろ相談に乗ってもらって頼りになる同僚」と紹介してくれたのが、2019年入社で、同じ採用チームの畑はた野の好この真みさん(49歳)だ。もともと幼稚園教諭だった畑野さんは、15年前にうつ病と診断され、5年前に別の病院で「うつ病ではなく、双極性障がい」と診断された。3カ月ほど自宅療養していたとき、母親が就労移行支援事業所を見つけてくれて、そこに1年半ほど通った後、富士ソフト企画に採用された。「就活中に複数の会社で面接を受けましたが、富士ソフト企画は、私の病気について症状や合理的配慮についてていねいに聞いてくれたので、安心しました」入社後は業務部で封入封かん作業や経費計算などをしていた。しかし数字が苦手な畑野さんの様子を上司が感じ取ってくれ、2カ月後に採用チームへ異動。いまは採用の応募書類の整理や面接官としての立ち合い、新しい業務ができたときのマニュアル作成も担当している。「面接担当は、人の人生を左右するのでプレッシャーもありますが、『この人いいな』と思った方が採用されるとうれしくなります。幼稚園教諭のころから人とかかわることが好きだったので、いまの職場は楽しいですね」現在も体調の波はあるが、「落ち込み気味ぐらいなら思い切って出社し、本当に落ちたなと自覚したときは迷わず休みの連絡をします。一日出て、一日休んで、翌日は半日といった出勤日程を組んでもらうこともあります。柔軟に対応してもらえるので助かります」療養中に始めた寺社の御朱印集めを、いまも続けている。体調と向き合いながら職場にも慣れ、嘱託社員になった畑野さんは、正社員を目ざしているそうだ。ちなみに富士ソフト企画の人事制度では、入社から3カ月が契約社員、その後2年間の嘱託社員を経て、一定基準を満たすと正社員になる道筋となっている。双極性障がいからの再出発企画開発部採用チームの畑野好真さんサブリーダーとして、採用面接を行っている社外向けの障がい者雇用セミナーなどで講演する機会も多い7

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