「働く広場」2021年10月号
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働く広場 2021.10――内藤さんが、行政書士から障害者支援施設の施設長になられた経緯を教えてください。 もともと私は、高校で政治経済や倫理を教える教員で、それから行政書士になり、地元の社会福祉法人の認可申請にかかわっていました。その法人の知的障害者授産施設の開設にあたり、当時40歳だった私は、理事長から「施設長をやってほしい」と依頼されたのです。私自身それまで障害のある方とかかわった経験もなかったのですが、次の施設長に手渡すまでの間、引き受けることにしました。私は障害者支援を志してこの世界に入ったわけではないので当初は悩みましたが、導き出した自分のスタンスは、現場を支える職員たちを応援することだと決めました。職員自身が自分の仕事にやりがいを持って、自ら成長しながら知的障害のある方も幸せにできるような職場環境を目ざしてきました。――2006︵平成18︶年から本格的に就労支援事業をはじめ、昨年までは施設の名称も﹁就職するなら明朗塾﹂とするほど力を入れてきたそうですね。 明朗塾から、初めて就職者が出たのは15年以上前になります。たまたま近くの特別養護老人ホームの施設長から「清掃作業員として障害者を雇用したいから、明朗塾からだれか紹介してくれないか」と依頼されました。私は喜んでジョブコーチの職員に伝えたのですが、「できる人はいません」と即答されてしまいました。しかし施設利用顧客のなかに、食品工場を退職し、行き場を失って明朗塾に来たという方がおり、担当職員が「新しい仕事なんて無理じゃないだろうか」と不安をもらしつつも、その方と一緒に面談に行きました。すると、1時間もしないうちに2人は満面の笑顔で戻ってきたのです。「決まりました!」と。ちなみにこの方は、いまもその施設で働き続けています。 担当職員は、自ら気づいたのでしょう。知的障害のある方の就労を阻はばんでいたのは、彼らを支える自分が「できないだろう」と思い込んでいたからだと。そして、この職員を職場の中心に据えることに決め、施設の名称を「就職するなら明朗塾」と変えたのです。これをきっかけに就労移行支援事業を本格的に始めることになり、その職員は1年で9人を就職に導きました。職員の自信は、利用顧客の意欲にも波及します。私は担当職員を1人増やし、翌年は36人が就職できました。さらにその翌年からは障害者就業・生活支援センター事業を受託しました。――これまでに1500人近い利用者が就職されたそうですが、成功の秘訣は何でしょうか。 「出会いの場をいかに増やすか」と「企業の就労で「だれかを幸せにする権利」を社会福祉法人光明会専務理事、障害者支援施設「明朗塾」元施設長内藤 晃さんないとう あきら 1959(昭和34)年、千葉県生まれ。千葉県公立高校教員、行政書士を経て1999(平成11)年、社会福祉法人光明会の知的障害者授産施設「明朗塾」開設とともに施設長就任。2009年から2020(令和2)年まで同法人常務理事。2004年から2021年4月まで千葉県社会就労センター協議会会長。2019年から2021年5月まで全国社会就労センター協議会(セルプ協)副会長。著書に『施設長の資格』(中央法規出版、2009年)、『施設長の羅針盤(コンパス)』(同、2013年)など。利用者を支える職員を応援施設職員の思い込みも出会いの場を増やす2

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