働く広場2021年12月号
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働く広場 2021.12︱︱半谷さんは今年の東京パラ五輪で柔道48㎏級種目に出場し、惜しくも3位決定戦で敗れ5位入賞でした。大会をふり返っていかがですか。 昨年に大会延期が決まった後、試合に向けて準備を続けていたのですが、今回は過去に出場した2大会に比べてコンディションがよかったと思います。ただ初戦は唯一これまで対戦したことのない相手で、想定していた状態に持っていけませんでした。相手を見失わない工夫も積み重ねてきたのですが、試合では課題だった引き手の使い方が思い通りにいかず、自分の流れにできなかったのが反省点です。最後の3位決定戦も悔しかったですが、いまは全体を通して「やり切ったな」という気持ちに落ち着きました。――今大会は自国開催ということもあり大いに盛り上がりましたが、選手としてどのように感じましたか。 今回は、応援の声を身近に感じることができて、「リアルタイムで観戦してもらっている」という実感が強かったですね。大会期間中はこれまで支えてくれた多くの方からたくさんの激励の声をもらったほか、地元の方たちがいろいろな形で応援してくれました。担架で運ばれた初戦の試合後には、選手村の店員さんやスタッフ、他種目の選手たちにも「首は大丈夫でしたか?」などと声をかけられ、こんなに多くの人が見てくれたのかと驚きました。 パラスポーツを広く知ってもらう意味では、今大会はテレビで広く放送してもらったこともよかったですね。私の両親は、それまでパラスポーツは柔道しか知りませんでしたが、テレビでほかの競技を観戦しながら盛り上がっていました。いろいろな競技を見て知って「自分もかかわってみようかな」と思ってもらえる機会にもなったように思います。 これを機に、障害のある人も一般の人たちと同じようにスポーツができる環境が整い、町道場やスポーツジムに行くと、障害のある人があたり前のように体を動かしている光景が広がっていけば、パラ競技の人口も増えて、全体のレベルアップにつながるのではないでしょうか。 私自身は中学校の部活動で柔道を始め、高校までは一般の大会に出ていました。大学入学後に初めて出場した視覚障害者柔道の大会で全国優勝しましたが、当時は世界大会では通用しないレベルでした。海外遠征を重ねながら、前回パラスポーツの祭典を終えてトヨタループス株式会社、柔道選手半谷静香さんはんがい しずか 1988(昭和63)年、福島県いわき市生まれ。網膜色素変性症で生まれつき弱視。中学から柔道を始める。筑波技術大学保健科学部保健学科に入学後、2009(平成21)年全日本視覚障害者柔道大会に出場して優勝。2010年に初めて国際大会に出場し48㎏級7位入賞。パラリンピックは2012年ロンドン大会52㎏級7位、2016年リオ大会48㎏級5位。2018年IBSA(国際視覚障害者スポーツ連盟)世界大会3位。2020年10月トヨタループス株式会社入社。2021年パラリンピック東京大会48kg級で5位入賞を果たした。3回目のパラスポーツの祭典へいろいろなパラ競技を知ってもらえた機会2

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