働く広場2022年1月号
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働く広場 2022.119ミスがありました。特に外勤社員の経費の精算なんて、何度検算しても電卓を使っても計算が合いません。金庫のなかのお金を数えるのもADHDの不注意のせいで私にとっては困難そのものでした。それでも、上司がやさしく根気よく教え続けてくださったのはありがたかったです。 また、もう一つ悩んでいたのは社内の人間関係です。お局さんが2人いたのですが、その2人がひそひそ話や筆談をしているのです。そして、思い込みの特性のある私は、「もしかして、私の悪口をいっているのではないか」という思いに囚とらわれて、どんどん気分が落ち込んでいったのです。しかし、これは後で知ったことですが、このひそひそ話や筆談は、おもに男性社員に対する愚痴を話していたことが同期入社の友人からの情報により明らかになりました。発達障害傾向のある人は、いままでたくさんの失敗を重ねてきたことにより自己肯定感が下がり、「自分が悪いのではないか」というマイナス思考に陥りがちです。 私はこの会社を3年で辞めましたが、「もっと早く辞めていてもよかったのかな」と、いまとなっては思います。このように、発達障害のある人には他人からは見えない働きづらさがあることを少しでも知っていただき、フォローしてもらえるとうれしいです。 はじめまして。おもに発達障害などの「生きづらさ」について取材をしているライターの姫ひめ野の桂けいと申します。私自身も発達障害の当事者で、ADHD(注意欠如・多動症)、算数LD(学習障害)、ASD(自閉スペクトラム症、アスペルガー症候群)傾向があります。  現在はフリーランスのライターとして9年目を迎えてうまく順応できて働けていますが、かつて会社員をしていた時期は、とても働きづらさを感じていました。そもそも、私が就職活動をしていた時期はリーマンショックの大不況中。なかなか内定が出ず、大学の卒業式2週間前にようやく内定が出た会社に滑り込みで入社しました。とにかく「雇ってもらえればどこでもよかった」という感覚も大きかったです。なので、自分に合っている仕事かどうかは二の次でした。 さて、いざ入社してみると自分の仕事のできなさに直面しました。当時はまだ自分に発達障害があると気づいていなかったので、全部自分の努力不足だと思っていました。具体的にいうと山ほど働きづらさはあったのですが、まず、ASD傾向により会社の暗黙のルールがわかりませんでした。 就職した会社は全社員50人ほどの中小企業だったので、大企業と比べると正確なルールが明文化されていなかったのです。友人が就職した大手企業は「髪色はトーン8まで」、と就業規則に書かれていたそうなのですが、私が就職した会社にはそんなことは書かれていません。私はもともと派手なファッションや明るい髪色が好きだったのですが、就活は黒髪で行うのが基本です。長かった黒髪生活を終わらせたく、就職して1カ月ほど経ってから、私は美容室へ向かい、髪を明るいピンクベージュでオーダー。久しぶりの明るい髪色に心が踊りました。ところが翌日、その髪色で出社したところ、全社員の目が私の髪にいき、そのうちの一人の社員から「金髪はダメだよ」と注意を受けたのです。なぜこの髪色がダメなのか私には到底理解できませんでした。その後、再び髪を黒染めしましたが、一度ブリーチをしているためすぐに色落ちして金髪に戻ってしまい、そのたびにほかの社員から小言をいわれました。この髪色がダメなのならばきちんと就業規則に書いていてほしかったです。これはおそらくASD傾向からくるこだわり思考だと思われます。 次にこれが一番苦労したことなのですが、私の担当していた仕事は総務と経理。ADHDと算数LDがあるのに、細かい書類仕事や経費の計算などをするのが私にとっては苦痛でたまりませんでした。そして必ず発達障害当事者の働きづらさのリアル第1回~発達障害当事者の一般就労の苦労~姫野 桂姫野 桂(ひめの けい)フリーライター。1987(昭和62)年生まれ。宮崎県宮崎市出身。日本女子大学文学部日本文学科卒。25歳のときにライターに転身。現在は週刊誌やウェブ媒体などで執筆中。専門は性、社会問題、生きづらさ、など。おもな著書に『私たちは生きづらさを抱えている 発達障害じゃない人に伝えたい当事者の本音』(イースト・プレス)、『発達障害グレーゾーン』(扶桑社新書)などがある。

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