働く広場2022年2月号
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働く広場 2022.2らってから、配属先を決めることもある。指導係を務めてきたのが1989年入社の大おお久く保ぼ淳あつしさん(58歳)だ。大久保さんは大学2年のときに、ラグビー練習中の事故で脊髄を損傷し、車いすユーザーとなった。卒業が2年遅れたが、母校の教授らが創業にかかわっていたジーシーシーに、同じ車いすユーザーの知人が就職していた縁もあって入社したそうだ。「最初の10年ほどは、自分で車を運転して取引先に行くなど動き回っていました」とふり返る大久保さんは、いまは総務部総務労務グループでSEとして働いている。一方で大久保さんは、事故後、埼玉県にある国立障害者リハビリテーションセンター内で行われていた車いすバスケットボールの活動に参加し、就職後はプライベートで、さまざまな障害のある子どもたちのためのバスケットボールクラブの運営にたずさわっている。八木さんは、「大久保さんは長年、知的障害や発達障害のある子どもたちと触れ合ってきた経験からか、精神障害のある新入社員にもスムーズに対応してくれています」と信頼を寄せている。例えば、自閉症傾向の強い新入社員を指導していたとき、本人はほとんど言葉を発しないため、隣の席同士でメールを使い会話をしていた。業務について説明するときも、「メールを読んで、そのまま作業を始めたらOKですが、眉間に指をつけて考え込むそぶりを見せると『納得できないのだな』と判断し、別の方法を提示していました」と大久保さんはいう。ほかにも音に敏感な社員のためには、耳栓をつけることをうながしたり、空いている会議室を探して本人だけの仕事部屋にしたりするなど臨機応変にフォローしている。日ごろから心がけていることについて、大久保さんは「私がしてほしかったことを念頭に置いています」と話してくれた。「せっかく入社したのだから、変に気をつかわれるのではなく、ほかの同僚と同じように仕事をさせてもらうことが一番よいと思っています。ですから本人たちにも、仕事上のことは特別扱いせず、技術的な成長も含めて一緒に働いていけるよう指導しています」 2018年入社の佐さ藤とう恵え理りさん(30歳)は、地元の商業高校で情報処理を学び、就職した測量会社ではCADも使いこなしていた。ところが7年目に体調を崩して退職。病院の心療内科で双極性障害と診断されたが薬を飲んでも改善せず、精神科でアスペルガー症候群と注意欠如・多動症(ADHD)の診断を受けたそうだ。障害者手帳は取得したものの、その後に働いた工場ではクローズド就労(職場に障害を開示しないこと)だったため、「通院のため休みたい」といい出せず、半年で再び退職した。その後、群馬障害者職業センターに通い、ハローワークの担当者に紹介してもらったジーシーシーに入社。採用前の面接では、「電話に出ると、それまで取り組んでいた内容を忘れてしまいがちになる」、「ものわかりが悪いので、何回も聞いてしまうかもしれない」といった不安を伝えてあったそうだ。佐藤さんは現在、アウトソーシングサービス部のプリントサービスグループで、プログラミング業務を担当している。入社当初は9時~16時の短時間勤務からスタートしたが、2カ月ほどでフルタイム勤務ができるようになった。忘れっぽいという課題については、なるべくメモを取って対応しているそうだ。体調は、いまも波がある。「朝から激し体調管理に努めながらプリントサービスグループの佐藤恵理さん佐藤さんは、プログラミング業務を担当している大久保さんは、社内SEとして働きながら指導係もになう7

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