働く広場2023年2月号
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デンソー太陽株式会社(以下、「デンソー太陽」)は、1984(昭和59)年3月に設立され、同年6月に愛知県初の特例子会社として認定された。「生産事業を通して障がいのある人たちの自律を支援する」という企業理念のもと、さまざまな業務で社員一人ひとりに成長と自律の機会を与えている。母体となった社会福祉法人太陽の家(以下、「太陽の家」)は1965年に設立。これまでの経緯や今後の取組みについて、まずは太陽の家愛知事業部就労支援課課長の福ふ澤ざ真まさんにお話をうかがった。清水 太陽の家とデンソー太陽との関係や役割をご紹介いただけますか?福澤 太陽の家は、もともとは大分県別府市に拠点がある事業所で、整形外科医師の中な村む裕ゆ先生がつくった施設・法人です。それがなぜ愛知県に来たか。ここ蒲がていた明あ石し六ろ郎ろさんが、私財を投げうって、地元蒲郡のために何かできないかと思い、障がいのある方の援護育成を目的に施設をつくることになりました。日本全国を探し歩いて、別府にある太陽の家がとても先進的な活動をしているので、たかおり郡ご市で織布メーカーの社長を務められうくからかま くわ  ことぜひ蒲郡にも同じ施設をつくってほしいとお願いしたのです。最初、中村先生はお断りしたようなのですが、明石さんの熱意に負けて「愛知太陽の家」の設立が実現に至ったのです。また当時、愛知県や蒲郡市など、この地域の方々が積極的に誘致活動を行いました。その後に就労を通じた自律支援の仕事の部分をどのように進めるかを考え、日本電装株式会社(現:株式会社デンソー、以下、「デンソー」)にお声がけをしてご賛同いただけた結果、デンソー太陽が誕生しました。障がいのある方の就労を通じた自律支援を目ざして両者が動きはじめ、地域の方からもその趣旨に賛同する声があがってから40年近くが経過しています。両者の役割としては、設立した当初から工場の生産に関する部分は、ものづくりの得意なデンソー太陽が担当し、障がいのあるメンバーの健康管理や相談ごとの対応など、人的な管理は太陽の家が担当するという分担です。障がいのある人の自律支援をものづくりを通じてやろうとしているのがデンソー太陽で、そこに来る障がいのある人をサポートするのが太陽の家という関係なので、基本的には同じ理念のもとに一致した方向を向いています。仕事が安定的に供給され、社会人として自律していくメンバーを数多く目の当たりにできるのはうれしいですね。清水 デンソー太陽との関係は具体的にはどうなっているのですか?福澤 社会福祉事業の就労継続支援B型事業所(以下、「B型」)とA型事業所(以下、「A型」)と就労移行支援事業があります。就労移行支援は製造業に絞らず、いろいろなところでトレーニングを重ねたいという方向けに運営しており、就職先も外部の企業を含みます。B型とA型は、製造業を通じて自律していきたいという人たちの受け皿として運営しています。A型での中途採用では試験を行い、結果が厳しかったら、ご本人の希望に応じB型で受け入れるというスタンスです。また学生の場合は、実習を受けてもらった結果「A型からでもいけると思う」とか「B型のほうが結果としては長く働き続けられると思う」という提案などをして、希望するかしないかは本人に決めていただいています。B型で基礎的な訓練を行い、一定の基準を超えた方はA型に移行しています。そして生活も健康管理も仕事も自律した方は、太陽の家の「公益事業」に籍を移して一般就労となり、デンソー太陽の班長たちの指揮命令下に出向します。出向中さらに専門的な知識・技能を高めて、認められた方は、デンソー太陽に採用されます。この流れを原則とし、社内では「ステップアップの仕組み」と呼んでいます。デンソー太陽の求人は太陽の家からのステップアップだけでまかなわれており、「太陽の家から安心していい人を採用できる」といっていただいています。それゆえ、みなはじめに太陽の家福澤さんにインタビューPOINT123「愛知太陽の家」設立に尽力された明石六郎さんの銅像★本誌では通常「障害」と表記しますが、清水委員の意向により「障がい」としています社会福祉法人太陽の家愛知事業部就労支援課課長の福澤真さん「愛知太陽の家」のエントランス働く広場 2023.2経営の質を高めるには合理的配慮を尽くして社内外の競争環境が必要「No Charity, but a Chance!」を実践する人事制度と支援体制競合他社に品質で勝ち抜く仕組みと人づくり23

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