た。清水 太陽の家でA型からお仕事をはじめたそうですが、どのような感想をお持ちですか?吉田 高校生のときに初めて工場見学に来たときは「こんな会社と職場があるのだな」と、ただ思っていました。もともとは「自分で何でもやってみなければ物事は理解できない」という気持ちがあるので、見学の際に「何かやれそうなものはありますか?」といわれても「やってみなければわかりません」と答えていました。「この作業はできそうだけど、でも工夫すれば自分ならもっとうまくできそうだ」と感じたことを覚えています。私は生まれつき障がいがありますが、母は普通の学校に通わせようと考えて、一般の人と同じ学校で、友だちみんなと一緒に通常の授業を受けていたので、自分が障がい者という感覚はもともとあまりないように思います。清水 A型に入ったときに、どういう配慮がありましたか?吉田 やりにくい作業があると、素直に「やりにくい」といって「こういう配慮をしてもらえばできるのですが」と、自分から要望を伝えていました。例えば工具の位置を少し変えてもらうなどですね。自分はまったく左手が使えないわけではないので、特に補助治具が必要だということは一切ないです。左手でできないことを右手で補っている感じです。途中から障がい者になると、それまでできたことができなくなる感覚かもしれませんが、私の場合は、もともとできないものをできるようにしているだけです。清水 何年ぐらい在籍してからデンソー太陽に入社したのですか?吉田 A型は約4~5年ぐらいです。結構長い間、センダ(ガソリンタンク部品のコイルの中に入る浮き輪)をつくるセンダ班にいました。自分も早く自律したいと思っていたので「一生懸命働きます」とアピールしました。自分の班の稼働が閑散期になったとき、ほかの班に応援に行って新たなスキルを身につけたり、またほかの班の繁忙期に応援に行っていました。清水 デンソー太陽に入ってからはいかがですか?吉田 上司から私のスキルアップへの期待をこめた班異動で、いまのスマートキーを生産する班に所属し、そのままデンソー太陽に入社しました。A型のとき、センダの仕事はできたのですが、もう一つ、車のコンビメーターの仕事では大きい部品を扱わなければならないうえ、落とすとたいへんな損失につながるので、手の都合上、「支えられるか不安だ」と相談しました。係長からは「たしかにむずかしいかもしれないね」と理解してもらい、スマート班の所属になりました。センダ班にいたときよりもできる作業が増えましたし、1~2年の間で自分自身のスキルも上がりました。残業も休日出勤もありましたが、充実していました。この班のリーダーになってからは休日出勤を手伝ってくれる人たちの負担が軽くなるように「休日出勤があるから金曜日は定時で帰ろう」とか、休日出勤しない人に「残業を手伝ってもらえませんか」とお願いしたりしていました。そうして班長補佐を1年間にわたって務め、今年度になって正式に班長になりました。清水 通常の作業者とラインリーダーや班長との違いはどういったところですか?吉田 ラインリーダーは作業しているところから1歩外に出て、班長の補助として細かい手直しのほか、作業者に呼ばれたらそこに行って、質問を聞いて回答したりします。いまは私がラインリーダーも兼務しています。班長としては、係長の力を借り、現場を見ながら、忙しいときは係長にパソコン業務などをサポートしてもらっています。パソコン業務が苦手なわけではないですが、ずっと座り続けるのはあまり好きではないのです。だからしょっちゅう現場を見て、みんなが何をしているのかなとか、やりづらそうな仕事はないかなとかを見て回っています。清水 ラインリーダーや班長をやっていて、たいへんだったことはありますか?吉田 たいへんだったのは、初めて作業しているところから外に出て、人の管理をしなければいけないことでした。作業者がそれぞれどのような業務を遂行でき治具を活用した片手での組み立て作業吉田さんは班長として生産の管理やラインへの人員配置などを担当するスマート班の班長吉田裕さん26
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