働く広場2023年6月号
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自分探しの旅をしていました。ちょうど銀行を退職すると決心したときにお世話になっている手話通訳士さんから、NHK教育テレビ『ノッポさんの手話で歌おう』という番組を紹介していただき、参加することになりました。そこであらためて手話に対する意識が芽生え、心を動かされました。私にとって「手話」という言語は、一番大切で欠かせないものです。さまよって探していたものとようやく出会えた気がしました。とてもうれしくなって心から叫びたくなりました。もともと飽きっぽいところがあり、なかなか自分に合うものがなくて気持ちが萎えていたものの、銀行を退職してしばらく自分探しの旅をしたおかげで、自分の目標が見えてきました。25歳という年齢が、「人生の転機」と世間でいわれていることが理解できたように思います。これが一つ目の節目です。そして27歳のとき、映画『アイ・ラヴ・ユー』のオーディションに合格し、1999(平成入りしました。芸能界といえば、とても華やかなイメージです。俳優という職業は表現者として見られる立場なのに、最初のころは全然慣れなくて、右も左もわからず戸惑うことがたくさんありました。聴者の世界に慣れているにもかかわらず、異世界にやってきて迷子になった気分でした。デビュー当時はまったく演技経験がなく、撮影現場で周囲の役者さんたちの演技を見て一つひとつ噛みしめながら学んでいきました。当時はろう者女優は珍しかったらしく、映像関係やマスコミ関係の方から注目されたため多くのメディアから取材が殺到し、とても慌ただしい日々を過ごしていました。休む間もなく映画のキャンペーンで全国各地を訪れ、舞台挨拶をしました。こんなに忙しくなるとは思っていなかったので正直とても驚きましたが、ろう者と手話に関心を持ってくださる方が増えて、とてもうれしくなりました。そして、このままずっと手話が広まっていったらいいなと思っていました。しかし、数年経つと徐々に熱は冷め、ろう者や手話に対する意識が薄まってきたように感じられて、とても寂しく思いました。 「ブームは必ず去る」。これは仕方がないことなのでしょうか?でも、「手話」という言語を持つろう者や、「手           話」の存在自体が忘れられるのは、本当にとても悲しく辛いことです。俳優を目ざすろう者が増えてほしいという思いもあります。そのためにはどうしたらいいのか、少しずつ考えるようになりました。そんなとき、とあるろう学校に講演を依頼され、訪問しました。ろうの子どもたちに向けて映画に関するお話を終える前に、子どもの一人が質問してくれました。 「おしだりさん、私も将来女優さんになれるかな?できるかな?」すると、ほかの子どもたちもウンウンとうなずいて、目をキラキラ輝かせてこちらをじっと見つめていました。そういわれたとき、ハッとして雷に打たれたような気分になりました。 「そうなんだ、ろうの子どもたちも自分の夢を叶えたい!自分が持っている才能、自分にしかできない特技を活かせる職業に就きたい!将来のことを考えているんだ」聞こえないことで職業の選択肢が限られてしまうのは嫌だと思ったので「もちろん!できるよ!一生懸命努力してがんばれば必ず女優になれるよ!」と答えました。ろうの子どもの一言がきっかけで、私は女優という仕事をあらためて見直しました。これが二つ目の節目、ターニングポイントです。最近、俳優を目ざす若いろう者が増えて、とてもうれしいです。そんな人たちや、聞こえない子どもたちに夢や希望を与えられるように私もがんばらなくてはと、勇気と希望をもらいながら日々精進の毎日です。働く広場 2023.611)年、ろう者女優としてデビューし芸能界25歳のとき、自分に合う職業を模索しながら、忍足亜希子(おしだり あきこ) 俳優。1970(昭和45)年生まれ。北海道千歳市出身。銀行勤務を経て、1999(平成11)年、映画『アイ・ラヴ・ユー』で日本最初のろう者主演女優としてデビュー。同作で毎日映画コンクール「スポニチグランプリ新人賞」を受賞。以後、俳優業以外にも講演会や手話教室開催など、多方面で活躍中。 2021(令和3)年には、夫で俳優の三浦剛との共著『我が家は今日もにぎやかです』(アプリスタイル刊)を出版。 忍足亜希子15第3回エッセイろう者である想い〜人生の転機〜

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