医療と就労が一体となった支援「完全参加と平等」の最終ゴールを目ざしてサービスの提供に役立っている。ここでは、精神科医療と一体となった就業支援、生活支援体制が効果を発揮している。1985年以降、国の方針に沿って入院患者が早く退院し地域で生活できるよう支援を始め、1995年から香川障害者職業センターと連携したことによって支援体制が充実した。2006年の障害者自立支援法施行に合わせて、思い切ったダウンサイジングを実施。在院患者数は5年間で170人減少し、就労支援事業所などを順次、開設したという。理事長の三船さんは、「施設を整備し、精神障害のある方に対し、専門的で多様な支援のサービス提供を心がけています。専門職である精神保健福祉士を早くから採用し、病院と就労支援の現場で合わせて経験を積み、就労支援の柱になり、最前線でよい仕事をしてくれています。地方都市で仕事の確保などむずかしい点もありますが、今後も着実に取り組んでいきたいです」と語る。医療と就労支援の現場の情報共有、人事交流も行い、精神科医療と就労支援が1本につながり、地域の精神科病院、クリニックとのネットワークをつくり拠点化へ進んでいる。香川障害者職業センター上席障害者職業カウンセラーの國く田た敬け子こさんは、「母体の病院が地域で長く精神科医療をけん引しており、就労支援のパイオニアとして支援機関、事業主とのつながりも強い。個々の障害特性に即した個別のプログラム設定、支援を展開しています」と話している。 「完全参加と平等」をテーマにした国際障害者年は1981年。その理念の中心になったのは、デンマーク政府の障害福祉の行政官だったバンク・ミケルセンが提唱した「ノーマライゼーション」。障害者は施設を出て、地域で暮らし、働き、施設は地域で暮らす障害者を支援する役割になる。ノーマライゼーションは、施設ケアから地域ケアへ大きく転換することを求めた。ライフステージに合わせ、就学年齢になれば地域の小学校で学び、成人になれば就労支援を受け、音楽や絵画を楽しむアート支援を利用し、障害のある人もない人も地域社会の構成員として、生産活動に参加し、良き隣人としてともに生きる。国連は各国政府に1992年までに医療、交通、教育、就労などの施策を中心にした行動計画をつくるように宣言した。日本政府は障害者自立支援法を制定し就労支援制度を始めた。養護学校は特別支援学校になり、キャリア教育を進めている。昭和の時代に国連が問題提起し、国が法律を立案、平成の時代に具体的に新しい制度となって展開され、40年を超えた。今回、医療法人社団三愛会三船病院の取組みを取材し、「完全参加と平等」の最終ゴールは、精神障害者の就労支援だと思った。働く広場 2023.6 にい 30人います。その人たちが10年、20年と香川障害者職業センターとの連携について話す香川障害者職業センター上席障害者職業カウンセラーの國田敬子さん理事長の三船さん精神保健福祉士で主任就業支援ワーカーの大西由美子さん「障害者就業・生活支援センターくばら」のミーティングルーム23
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