働く広場2023年7月号
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POINT123 「有限会社ねば塾」(以下、「ねば塾」)を知ったのは、知人に同社の商品を紹介されたことからだった。長野県佐■久■市の小さな石鹸会社でつくられる石鹸が、高品質にもかかわらず、価格が手ごろであることもあって人気があり、化粧品通販サイトの売れ筋商品として不動の地位を築いている。じつは、そこで製造に従事しているのは、おもに障害のある人たちだと聞き、興味を持った。すぐに取材を申し込み、ご快諾いただいた。北陸新幹線の佐■久■平■駅から車で20分ほど。緑広がるのどかな地域の一角に、幾棟かの石鹸工場がある。代表取締役社長の笠■原■道■智■さんに出迎えていただき、通された事務所では、数匹の猫がのんびりくつろいでいる。奥の倉庫では数人の女性が忙しく出荷作業をしていた。■■ ■■■■■ ■■ ■■  ■田二■村一現社長である道智さんのお父さま、愼一氏はサラリーマン時代に、友人に「知的障害者の施設に遊びに行かないか」と誘われ、滋賀県の一■麦■寮■(※)を訪れた。雪の日で、観光してから行ったら昼に着く予定が夜になってしまったが、なんとその一麦寮の子どもが、「お客さんが来るから」と朝からずっと外で待っていたのだ。愼一氏が「鼻水たらして汚いな」というと、「ずっとお前を待っていたんだぞ」と友人に注意された。そこでふと、「世の中で自分のことをこんなに待っていてくれる人はいないんじゃないか」と■■安■土■倍■組■という土木関係の会社にお願い思い、そこからハンディキャップのある方たちに興味を持ったのだという。道智さんが生まれる前の話、若き日の愼一氏が感じたことを道智さんはまるでその場で見聞きしたできごとのように話してくれた。生前、愼一氏が息子である道智さんに何度も何度も話してきたことなのだろう、と感じた。愼一氏はサラリーマンをしながら、上田市で、土地を開■墾■して精神障害者施設を立ち上げる友人の手伝いを始めた。その施設で3年ほど勤めたが、当時その施設の子どもたちが、家族の結婚式にも呼ばれないのを知り、それは変だと強く感じるようになった。ほかにも「俺、税金で生かされているだけだ。自分の力で働きたいよ、生きたいよ」といった子どもがいた。もちろん、いきなり世の中に出ていっても受け入れてもらえないだろうが、だれかサポートする人がいれば社会参加できるのではないかと考え、施設にいた2人を自宅に呼び一緒に住みながら、して、愼一氏も一緒に3人で勤めさせてもらったのが1978年、ねば塾の始まりである。当時は、本当に開墾の手伝いばかりだったそうだ。人気商品をつくり続ける「小さな工場」「自分の力で働きたいよ、生きたいよ」の声にこたえて■■■■ねば塾では、さまざまな種類の石鹸を製造・販売しているねば塾の事務所でお話をうかがった※一麦寮: 1961(昭和36)年、滋賀県大津市に創立された知的障害児施設。設立者は戦前から、京都の小学校で特別学級の教師として知的障害児教育にたずさわった 有限会社ねば塾の社屋。現在の施設名は一麦代表取締役社長の笠原道智さん働く広場 2023.7先ね代ば塾笠■■創原■■業愼■■者一■■氏の思い障害者を雇用する目的は、給与を払い障害者の生活を成り立たせることどんな仕事ならできるかを考え、社員全員に仕事をつくる能力を発揮してもらうために、真の効率を考える21

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