障害のある人に仕事をつくることを考え続け、まず手に入れたのは開墾しなければ使えない荒れた土地。障害のある人に土地の開墾を手伝ってもらい、工賃を渡す。この段階で収益はどこからも出ないので、資金は愼一氏がなけなしの私財から捻出していた。数年間は便利屋や土木関係の仕事をしたが、本格的に仕事を始めるにあたり、愼一氏が選んだのは石鹸づくりだった。石鹸のつくり方は、高校1年生の化学の教科書に載っていた。愼一氏は化学が得意だったので、よく理解できた。また、仕事にするなら、消耗品でないと続かないと考えた。消耗品で、つくり方がわかるもの。そして当時、琵琶湖の環境汚染がすごく騒がれている時期だったので、環境にもよいと思い手づくり石鹸を選んだ。土地を自分たちで開墾したのは前述の通りだが、工場建設も手づくりで行った。石垣から基礎まで自分たちでやり、建物を建て、愼一氏の同級生のお兄さんの板金屋さんに屋根をつくってもらった。最近は特別支援学校を卒業してからくる人が多いが、昔はどこの作業所にも施設にも定着できず、「ねば塾さんでなんとかなりませんか」と見学に来る人が多かったそうだ。愼一氏は頼まれると断れない性格で社員はどんどん増えていった。ねば塾では現在32人の従業員が働いている(うち障害者手帳保持者は17人)。従業員全体の6〜7割が障害のある人だ。おもに知的障害や、自閉症の人が多く、精神や身体に障害のある人もいる。驚くのは、ねば塾がこれまで行政の助成金をほとんど受けずに経営してきたことである。「(東京などと違い、地方では)障害者は福祉のなかに置くよりも、働く場を整えてなるべく自立をうながし、障害年金と自分で稼いだお金で暮らす方が、一人当たりにかかるお金(税金)が安くなる」という強い信念が、ねば塾にはあるからだ。会社組織としての効率の前に、「社員に給与を払い、生活を成り立たせること」が会社設立当初からの目的なので、どんなに障害が重くても、最初は効率が悪くても、最低賃金除外申請は行わない。ねば塾の始まりが2人の障害者を自宅に呼び寄せ同居したことからもわかる通り、働く場を整え、社員が職場にきちんと向き合えるように力を注いできた。2人のほかにも、一緒に住む社員が増えていき、道智さんのお母さまが3人の子育てをしながら、石鹸工場の仕事と社員14人分のご飯をつくっていた時期もあったという。アパートを借りて世話人を置いていたこともあったが、手が回らなくなったときにグループホームの制度ができた。いまはこの制度を使い、敷地内に3棟のグループホームがある。そこに現在、18人の社員が入居している。どんなに小さなことでも、できることを見つけ出し、それが仕事にならないかを考える。「これならできるだろう」と仕事を与えても、まったく向いていない人もいる。そのときはまた、社内に合う仕事がないかを根気よく吟味していく。仕事に人をあてがうのではなく、その人ができる仕事を見つけ、なければつくり出す。目的は、給与を払うこと●経営の特徴①助成金に頼らない●経営の特徴②社員寮・グループホーム経営●経営の特徴③能力を仕事に必ず結びつける働く人の組み合わせや配置を工夫し、ねば塾では、社員のできることを見つけ出し、仕事に結びつけている安心して働ける職場を目ざすグループホーム「蛍雪庵」現在、石鹸工場は改装され鉄骨2階建てとなっている 働く広場 2023.722
元のページ ../index.html#24