働く広場2023年7月号
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ろです。先代が「食べていければ、まあいいか」とよくいっていましたが、さすがにここ数年は、いろいろと考えていかなくてはならないことが増えました。それというのも、原材料費が2・5倍に跳ね上がっているのです。かなり値上げもしましたが、心がけていることは、「便乗して、値段を余分には上げないようにすること」です。お客さまに甘えず、まだまだ自分たちの努力で改善していけることもあると思います。例えば、問屋を通さずにインターネッ      ■ ■■ の工程で作業が増えます。私たちは「手ト直販で売れば、利益が残るかもしれません。しかし、問屋には、いままでずっとお世話になっていたのですから、一気に変えるようなことはせず、少しずつ変化させていく。直販が増えれば発送などをかける工程」があることが大事なので、働く人にとって作業の選択肢が増えるのもよいことだと思います。障害のある方が、健常者の社会で働くためには、健常者以上にがんばらねば、耐えねば、やらねば、〇〇せねばの【ねば】の精神が必要ということ。もう一つはここ、ねば塾が彼らの生活の根っ道智 村■」を構想し、小説として発表しましたこを張る場所。根場で【ねば】です。また、一麦寮の田■村■一■二■先生は、障害のある人もない人もみんなが自分たちのできることをやって生活する理想郷「茗■荷■(後に映画化)。村ほどはできないけど、学習塾くらいならできるのではないかと考え「ねば塾」と名づけました。能力開発には、さまざまな手法があると思うが、ねば塾は一貫して何も強制しない。新しい仕事をできるようになれ、というメッセージは感じられない。あきらめているわけではなく、自然に任せている。10年間寝てばかりいた龍ちゃんは、ある日突然仕事を始めた。その日がいつ到来するかはわからないが、ねば塾が、「毎日過ごすのに苦にならない場所」であることが大前提である。働き出すのが10年目になるか20年目になるかはわからない。結果としてそうだった、というだけである。一方くみちゃんのエピソードにあるように、30年間続けてきた仕事を大切に守ってくれる。それまでの経験を絶対に無駄にしない。結局、ねば塾が見つめているのは、徹底的に社員一人ひとりのことで、その集団のメンバー構成、現在保持する技能、■■市場のニーズを読みながら、新商品も開発し、石鹸を消費者に向けてつくり続けている。創業者の笠原愼一氏は本当に先見の明があった。ねば塾の素晴らしさは愼一氏の思想を、寸分たがわず道智さんが受け継ぎ、時代に合わせて見事に進化発展させていることだ。なにも強制されず、自由気ままに過ごしているようだが、ねば塾の名前の由来を聞くと、障害者が置かれた状況は、当然ながらそんなにお気楽なものではないと、ハッとさせられる。いわゆる健常者と比べれば、最初に背負った苦労の数は多いはずである。だからこそ、この会社のなかでは、ストレスを限りなく減らして、持てる能力を発揮してもらおうとの取組みだった。経営者の思想、社員の動き、時代を掴んだ商材、消費者や取引先との関係性、不断の努力、限りない工夫のうえに現在のねば塾がある。つい、「笠原さんだから、ねば塾だからできたこと」といいたくなるが、「もう、実際に一緒にこうやって働いている場があるのだから、『できない』とはいえないですよね」と道智さんに、先回りして満面の笑みでいわれてしまった。障害者が能力を発揮できる職場をつくり、自立を支えるために、ねば塾の実践から私たちは何を学びとれるだろうか。ねば塾の名前の由来まとめ商品ラベルの貼りつけには、手づくりの治具が活躍する働く広場 2023.725

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