池い田だ一か博ひさん(44歳)だ。2年前に脳梗塞で倒れ、手術後に右半身不随の後遺症を抱えることになったという。リハビリでゆっくり歩けるようになったが、右側の腕から手先にかけて自由に動かせない。 「利き手だったので文字がうまく書けず、会話もスムーズにいきません。これはホテルマンとしては働けないと退職しました」妻と中高生の子ども3人がいる池田さんは、すぐに障害者就業・生活支援センター経由で就職活動を始めたところ、鹿屋電子工業を紹介された。会社との面接では後遺症のことも細かく伝え、職場実習を経て採用が決まったそうだ。入社後は、かさのはら工場で部品の電気検査を行う業務を担当。不自由な右手の使い方を自分なりに工夫し、部品運びにも慣れてきた。池田さんは、「これまでのサービス業とは全然違う仕事ですが、新鮮な気持ちで日々学んでいます」と笑顔で話す。実習当時から指導役を務めるかさのはら工場製造課副責任者の上う床とやすよさんは、「最初は不自由な右手が心配でしたが、本人の『仕事をしたい』という強い意欲が伝わってきて、私自身も心を動かされました。作業でわからないことをどんどん聞いてくれる姿勢が、急速な成長につながっていると思います。いまは障害を感じさせない仕事ぶりで、本当に助かっています」と話す。作業内容の確認を表に書き入れる作業もあるが、見せてもらった表には、池田さんが左手で書いたていねいな漢字が並んでいた。「すごく練習されたのだと思います」と上床さん。池田さんは目下、外観検査業務の社内認定を取る準備中だ。これまでの障害者雇用について「とてもうまくいっているように見えるかもしれませんが、全然そんなことはなくて、私たちも日々、ひたすらにトライ&エラーをくり返しているところです」と幸代さんは率直に語る。最近の課題は、これまで順調に成長していたと思っていた従業員が、そうではなかったとわかったことだそうだ。 「定期面談の内容や、現場からの『特に問題なし』との報告を受けて、そろそろ正社員にと提案したところ、現場から『正社員としてはむずかしい』と返ってきました。よく聞いてみると、いまも1人で作業を完遂できない状況でした」あらためて独り立ちするための課題を洗い出し、いまはそれをクリアしていくためにどうするかを現場で相談しているところだという。あらためて障害者雇用の進め方について、瀬戸口さんが語る。 「さまざまな障害の特性や程度によって、現場の工夫や時間はあってしかるべきだと思っています。結果としてほかの従業員と同じように働けることが本人の自信にもなり、周囲の従業員の成長、職場の生産力につながります。障害者という呼び方自体、職場のみなさんは違和感があるのではないかと思っています。私自身も区別したくないのですが、そうするとしても、職場においては、わけ隔てることなく、だれもが一緒に働ける環境を目ざしたいですね」鹿屋電子工業は2030年の設立50周年に向け、「鹿屋地域でナンバー1」という目標を掲げているそうだ。瀬戸口さんが真意を説明してくれた。 「この“ナンバー1”は、いろいろなとらえ方があってよいと思っています。売上げや福利厚生、従業員数などもあるでしょう。私としては、ここで働いている人やその家族のみなさんが『ここで働いていてよかったね』と思える会社にしたいと考えています」 こわ ずけろ9トライ&エラーを重ねつつかさのはら工場製造課副責任者の上床やすよさん不自由な右手の使い方を工夫し、作業にあたる検査器具を使用した電気検査作業を行う池田さん働く広場 2023.10
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