働く広場2023年10月号
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日本相談支援専門員協会顧問 福岡寿障害のある人が地域で普通に暮らせるよう、 多職種が集まってさまざまな取組みを行う自立支援協議会。私の住んでいる地域では、その協議会のなかに「本人中心部会(いってみてやって委員会)」という会があり、障害のある人が定期的に地域の障害福祉サービス事業所を見学したり、体験したりする取組みがあります。長い間入所施設で暮らしていたAさんは、同委員会の主催する近隣のグループホーム見学に参加し、そこで「いいな」と思えるグループホームで体験入居をしたのち、正式にグループホームに生活の場を移しました。しばらくはグループホームの暮らしに満足していましたが、徐々に「○○さんと一緒に食事をするとイライラする」、「一人で暮らしたい」などなど、グループホームの生活に不満が出始めました。Aさんを担当する相談支援専門員は、一人暮らしとはいっても、すぐに単独でアパートなどに暮らしの場を移すのは容易ではないと判断し、Aさんにアパートタイプのグループホームの見学をすすめ、何度か体験宿泊などもくり返しましたが、「一人の暮らしはさみしいし、かといって、個室があるとはいえ、一軒家に何人かが同居するグループホームも不満がたまる」という日々が続いていました。そんななか、Aさんは「いってみてやって委員会」で企画した日中活動の事業所見学に参加してみました。いくつか見学するなかで、農福連携に取り組んでいる就労継続支援A型事業所に心が動いたようでした。何度か体験するうちに、正式に就労継続支援A型事業所へ通所することとなりました。Aさんにとって、この日中活動はやりがいにつながったようです。日中の生活が充実すると、次第にAさんからグループホームでの不満が聞かれなくなってきました。そうしたAさんの変化を見て、相談支援専門員は「暮らしの場を入所施設からグループホームに移してみたり、あるいは余暇を充実させてみても、やっぱり社会参加の場である日中活動が充実していなくては、人は満たされないのではないかな」と、Aさんの支援を通じての実感を話してくれました。仮に就労継続支援A型事業所のような賃金につながる日中活動でなくとも、「活躍できている。自分は必要とされている。期待されている。役に立っている」、そうした社会参加の場を持てているからこそ、夜のビールがおいしかったり、日曜日の買い物が楽しみになったりするのだと思います。相談支援専門員は本人の生活を「サービス              等利用計画」という書式にして、生活を組み立てていく仕事です。しかし、それは単に日中の場や暮らしの場、土日の余暇を形式的にパッチワークのように組み合わせる業務ではなく、「どこで心が動いたか」、「どこに本人の活躍の場があるか」そうした本人の「心の動き」を探るアセスメントがないと活き活きしないものです。障害の有無にかかわらず、65歳になると介護保険のサービスも視野に入ってきます。しかし、「65歳になったので日中は介護保険のデイサービスで」と制度的にすすめられても、例えば、就労継続支援B型事業所で張合いを持って過ごしていた方にとっては、働ける間は、70歳になっても、このまま就労継続支援B型事業所で力を発揮してみたいと思うものです。そこは、「制度のための本人でなく、本人のための制度だ」という本人の伴走者としての相談支援専門員の覚悟が大切です。私も57歳で早期退職したとき、「退職したら毎日正月だ。朝からお風呂に入ってビールを飲んでみよう」、「好きな映画を好きなだけ観に行こう」と、いろいろ夢を描いて退職しましたが、一カ月ほどでそうした暮らしに飽きてしまいました。やはり、だれかの役に立ったり、人に必要とされる何かがないと抜け殻になってしまうようです。相談員の苦悩と心得働く広場 2023.10福岡寿 (ふくおか ひさし) 金八先生にあこがれて中学校教師になるも、4年で挫折。その後、知的障害者施設指導員、生活支援センター所長、社会福祉法人常務理事を経て、2015(平成27)年退職。田中康夫長野県政のころ、大規模コロニーの地域生活移行の取組みのため、5年間県庁に在籍。 現在は「NPO法人日本相談支援専門員協会」顧問、厚生労働省障害支援区分管理事業検討会座長。 著書に、『施設と地域のあいだで考えた』(ぶどう社)、『相談支援の実践力』(中央法規)、『気になる子の「できる!」を引き出すクラスづくり』(中央法規)などがある。19エッセイ第2回

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