――歯科技工士になった経緯を教えてください。中川――アビリンピックには在学中から挑戦してきたそうですね。中川 と思っています。友だちができ、文章力がつき、聞こえる人たちの広い世界を知ることができたからです。手話はその後、大宮ろう学校(現・埼玉県立特別支援学校大宮ろう学園)で3年間かけて習得しました。もともとは、ろう学校の理科教員を目ざし大学を受験したのですが、残念ながら不合格でした。進路に迷った私に先生が、筑波大学附属聾学校(現・筑波大学附属聴覚特別支援学校)歯科技工科の体験学習をすすめてくれました。参加してみるとミニ入れ歯の製作やカービング作業などが楽しく、軽い気持ちで入学しました。その後、社会見学として訪れた鶴見大学歯学部歯科技工研修科で、先生からの「彫刻がうまくなれば仕事もうまくなる」との言葉に心を動かされ、鶴見大学に進学しました。再び障害のない学生たちと一緒に学ぶことに わつり 3力のかいもあって、修了式では上級課程で優秀なり、やはり苦労したのは授業です。先生の話す内容がよくわからず、先生の手の動きを見よう見まねでやるしかありません。隣の席の学生に筆談で教えてもらったり、授業後に先生に個別質問をしたりする日々でした。そして技術力向上のため、インターネットで検索した歯の形を参考にカービング作業を毎日練習。地道な努な成績を修めた者に与えられる「細井賞」を受賞しました。初めての挑戦は鶴見大学在籍中で、筑波大学附属聾学校の先生からすすめられたのがきっかけです。自分の力を試してみたくて先輩たちと出場しましたが、力不足を実感させられました。就職後は仕事に追われ、アビリンピックのために休暇を取る余裕もなく出場から遠のいていました。それからはキャリアアップを目ざし、3回転職しました。スタートは小規模な技工所です。ここでは私の技術力を評価してくれていた上司が、職場に筆談ボードを用意し、手話の指文字表を貼ってくれました。「話すときはマスクをはずして、わかりやすい口の形で」と同僚にうながしてくれたのも助かりました。多忙でしたが、仕事を段取りよくこなす技術やスピードを向上させることができたと思います。と呼ばれるコンピュータを使ったインプラントの設計・製作を経験しました。次に千葉県にある総合病院で聴覚障害者として初採用され、ここで9年ぶりに、アビリンピックへの再挑戦が実現しました。上司や同僚が「病院の知名度アップにも貢献するね」と時間をさいて支援してくれ、2017年の第37回全国アビリンピック(栃木県)で銀賞を獲得できました。タル・センター」に入社してからもアビリンピックのことを相談すると、すぐに出場許可が下りました。上司である田た川が哲て成のさんたちがアドバイスをくれ、練習にもつき合ってくれました。職場の期待を背負って臨んだ2018年の第38※2 ことばの教室:小中学校の通常学級に在籍し、言葉の発達に課題のある児童が、個々の状況に応じた特別な指導を受ける教室2カ所目は病院内の職場で、CAD/CAMその後、いまの職場である「株式会社中田デン歯科技工士への道職場の協力でアビリンピック挑戦働く広場 2023.11歯科技工物の製作を担当している中川さんは職場で、田川哲成さん(奥)のアドバイスを受ける中川さん
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