日本相談支援専門員協会顧問 福岡寿相談員の苦悩と心得る⇒生き方や人生が変わる」というくだりで、支援が必要な障害のある人にかかわる関係者や関係機関の方に、電話一本で集まってもらう。それが、相談支援の力量、あるいは実践力です。そして、実践力という点では、集まっていただいた方と支援会議を進める際、単にご本人のケース検討会議で終わるのではなく、明日からの具体的行動や取組みを決めていく、いわゆる具体的なケアの支援体制づくりが大切です。そうした意味では、「ケース検討会議」ではなく「ケア会議」だ、というこだわりがあります。格言めいていますが、ある本を読んでいて、「行動が変わる⇒生活が変わる⇒習慣が変わ「なるほどなー」と腑に落ちたことがあります。 ケア会議を通じて、ご本人の行動が明日から変わっていく、行動が変わることで結果的に、やや大げさですが、人生が変わる。それが、相談支援の実践力だと思っています。人は、心がけや周りからの助言やアドバイス、諭しではなかなか変わらない。それよりも、具体的な行動で人が変わる。そちらに重点を置いた支援会議になるように心がけてきました。通所施設に通うことが億おっ劫くうになってきたのか、欠席がちになり、そのうちまったく通所しなくなった方がいました。自動販売機で缶コーヒーを選んで飲むこと、これがその方の一日のささやかな楽しみだ、という話題が支援会議で出されました。それで、通所施設にきちんと通い、活動や作業に取り組んでいただくことに重点を置くのではなく、家から出て、自動販売機に行くという行動をベースに考えました。具体的には、通所施設の玄関まで来たら、所長が、出勤したという印と出勤手当として必ず、110円を支給するという取決めにしました。結果としては、110円と自動販売機の缶コーヒーというつながりで、再び玄関までは毎日来るようになりました。最終的には、半日勤務ではありますが、元の通所スタイルに戻りました。また、ある相談支援専門員さんから、好事例としてうかがった話ですが、軽度発達障害の方で、ホームセンターでいろいろな部品や道具を購入して、何の役に立つのかはわかりませんが、自分なりに組み立てたり、つくることが好きな方がいました。その方の生活課題は、朝決まった時間に起 きることでした。昼夜逆転になってしまうことが頻繁にあるため、それが課題になっていました。そこで、朝時間通りに起床するという取組みではなく、本人の強みを活かし、部屋の東側の窓のカーテンが起床時間に、自動的に開く装置づくりに取り組んでもらいました。さまざまな試行錯誤はありましたが、ついに時間に合わせてカーテンが自動的に開く装置を開発しました。それは、ご本人の達成感にもつながり、また結果的には、朝、東側から差し込んでくる太陽の光で目が覚めるという行動の変化につながりました。もう一つ紹介します。抑うつ状態のときに、心がけで元気になろうとするよりも、まず部屋の掃除をしてみる。その方が結果として気分障害がおさまっていくという話を精神保健福祉士の方からうかがったことがありました。私は、職場を退職してフリーランスの仕事に変わって9年目になりますが、日課として定着したのは、ジム通いです。汗を流して爽快な気分になることはわかっているのですが、なんとなく筋トレやランニングマシーンで走ることが億劫になって、ジム通いが滞ることがありました。あるときから、見逃した番組をスマートフォンで観ることが多くなりました。現役のころはほとんど関心のなかったドラマが、退職後とても好きになりました。ただ、45分のドラマを単に観るのは生活のロスのようにも思っていたのですが、イヤホンを耳にあて、スマートフォンでドラマを観ながらランニングをすることが習慣になりました。ジム通いが好きなのではなく、ドラマを観ることが好きなだけなのですが、結果として自分の生活スタイルが変わりました。ささやかですが、行動が変わることで生活が変わった一つの例です。働く広場 2024.1福岡寿 (ふくおか ひさし) 金八先生にあこがれて中学校教師になるも、4年で挫折。その後、知的障害者施設指導員、生活支援センター所長、社会福祉法人常務理事を経て、2015(平成27)年退職。田中康夫長野県政のころ、大規模コロニーの地域生活移行の取組みのため、5年間県庁に在籍。 現在は「NPO法人日本相談支援専門員協会」顧問、厚生労働省障害支援区分管理事業検討会座長。 著書に、『施設と地域のあいだで考えた』(ぶどう社)、『相談支援の実践力』(中央法規)、『気になる子の「できる!」を引き出すクラスづくり』(中央法規)などがある。19エッセイ最終回
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