働く広場2024年4月号
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技術であって、世界屈指の技術といって間違いないでしょう。彼がこの競技で飛び抜けて強いことを裏打ちするものです。これはたゆまぬ努力の賜物であって、日々のトレーニングなくして手に入れることができない技術に違いありません。この技術を獲得する過程で、彼の脳は義足を、義足と反対側の脳が単独で操作するという一般的な方法ではなく、両方の脳で動かすという特殊な方法を採用したものと思われます。彼の高度な義足操作技術の背後にはきわめて特殊な脳の働きがあったのです。パラリンピック競技のなかにパワーリフティングという競技があります。これは脚に障がいがある人のベンチプレスで、どれだけ重いバーベルを持ち上げることができるかを競う競技です。じつはその記録が障がいがないアスリートより障がいがあるアスリートの方が優れていることが知られていて、その秘密を探るべく研究を始めました。すると研究開始前にはまったく予想しなかったことがわかってきました。それはパワーリフターの多くが脊髄損傷者なのですが、脊髄損傷のなかでも重い障がいが残る完全損傷の方の腕の操作能力が際立って高いことがわかったのです。前述したように私は長く、脊髄損傷の方の歩行能力回復のための研究を行ってきましたが、腕の方にはほとんど注目していませんでした。それがパワーリフターの研究をきっかけに、腕を操作する能力について調べることになり、思わぬ発見につながったのです。まさに失われた機能の研究ではなく、残っている機能の研究によって、脊髄完全損傷者の腕の操作能力が障がいがない人に比べてずっと高く、それに関連する脳の再編も大きく生じていることがわかったのでした。障がいというと何かネガティブなイメージであって、何かを失っているとのイメージを描きがちですが、この発見は障がいはネガティブな側面だけではなく、それをきっかけに残っている機能が障がいがない人以上になることすらあるというポジティブな側面もあることに気づかせてくれました。パラリンピックの創始者とも称されるルードウィヒ・グッドマン博士がかつていったという〝失ったものを数えるな。残されたものを最大限に活かせ〟との言葉を、あらためて思い出させます。また、いわゆる手作業の仕事において、車い       3す使用者が障がいがない人より作業効率が高いと作業現場ではいわれているとの話も聞いたことがあり、今回の発見はこの話の信憑性を高める事実のようにも思いました。今回は、たった二例の紹介でしたが、私たちの一連のパラリンピックブレイン研究(※)は、脳には、人間には、まだまだ未知の能力があって、その一部は障がいがあるアスリートを研究することを通じて詳■らかになることを示しています。要な要素があります。それは、〝やる気〟です。アスリートには多かれ少なかれ間違いなくこれがあります。アスリートはだれしもやる気があってトレーニングに勤しんでいるのです。しかし、障がいを負って日々つまらないリハビリをしなければならなくなった人々にこれを持て、というのは酷です。なったもう一つの点は、障がいを負うとトレーニングによる脳の再編はしやすくなるが、そこにやる気が加わると、その再編はさらに加速するらしいという点です。リハビリにやる気が加わると効果が高まることは現場の人ならみな知っています。やる気の効果をいかに引き出すか、これからの研究によってこの難題が打ち破られることを期待しています。そして、一つ取り上げることができなかった重パラリンピックブレイン研究によって明らかに■■脊髄損傷者の腕の機能おわりにレイン研究」と呼んでいます(なかざわ きみたか) 東京大学・大学院総合文化研究科・教養学部 教授。 専門は、運動生理学・神経科学・リハビリテーション科学であり、人間の運動制御の本質に迫るための研究をリハビリテーションやスポーツスキルを対象として行っている。 おもな著書に『パラリンピックブレイン』(2021年、東京大学出版会)などがある。※ パラリンピックブレイン研究: 私たちは障がいがあるアスリートの脳を「パラリンピックブレイン」と呼び、これを対象とする研究を「パラリンピックブ参考文献:『パラリンピックブレイン(中澤公孝著)』(2021年、東京大学出版会)働く広場 2024.4中澤 公孝

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