働く広場2024年5月号
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業も、その実習生はまじめにずっと取り組んでくれて本当に感心しました」2011年の春と秋の2回にわたり参加したその実習生は、本人の希望もあり2012年に採用されたそうだ。仙南営業所の成功事例を機に、ほかの営業所でも受入れを進めることを決めた。現場の理解を広めるために、紺野さんは、まず各営業所の所長や幹部社員らを対象にハローワーク主催のセミナーや、坂本さんたちが立ち上げた「人を大切にする経営学会」の研修などに参加してもらった。その参加者の1人が現在福島営業所長を務める林は偉た大ひさんだ。 「だれもが好きでハンディキャップがあるわけじゃない。障害があろうがなかろうがフラットな存在なのだということを、坂本先生の明快な話で、あらためて理解することができました」2016年、林さんが当時勤めていた札幌営業所でも、初めて知的障害のある人を1人採用したそうだ。 「ふだんは普通に会話もしていたのですが、ふとしたときに、理解に不得手な部分があるとわかりました。その都度、やし説明のしかたや作業のやり方を工夫していきました」札幌営業所が残念ながら2020年に閉鎖された際は、取引先の同業者を紹介し、無事に就職できたという。林さんはその後、福島営業所に来てから障害のある社員を3人採用しているが、「一人ひとり必要な配慮も事情も違いますから、障害者雇用に慣れるということはありません」と話す。さっそく福島営業所の現場も見学した。ここには毎日のように古新聞や古雑誌、段ボールといった紙類やペットボトルなどが各地から運び込まれてくるそうだ。林さんと、本社管理課の課長で障害者職業生活相談員の小こ林ば剛つさんが案内をしてくれた。日ごろ工場内で作業しているのは5~6人と少人数のため意思疎通は図りやすいものの、作業は基本各自で行うため、ふとしたことで接触事故などにつながるリスクがあるという。そこで障害のある人を採用するにあたり「トラックなどが出入りし、重機が動いている場所には、新たに歩行者用の白やしよし線をひきました。搬入トラックにつく誘導係の社員が、周囲とこまめに声をかけ合うなどのコミュニケーションも大事ですね」と林さん。出入り口から奥まった一角では、「紙管剥むき作業」が行われていた。新聞印刷工場で使い切れなかった原紙ロールを、機械に取りつけて回転させながら手作業ではいでいく。はぎ取った紙はまとめて圧縮し、リサイクル先の製紙会社に納入するのだそうだ。1本20㎏以上にもなる紙管を機械にセットしていたのは、八や巻ま久ひ男おさん(61歳)。「1日50本ぐらい処理するので、けっこう重労働です」と笑いながら説明してくれた。もともと八巻さんは高校卒業後に自動車部品メーカーに勤めていたが、「家庭内の事情もあり、23歳でうつ病を発症し入院しました」という。「無事に復職したものの、処方されていた薬を勝手にやめてしまって27歳のときに再入院し、初めて障害者手帳を取得しました」     けろ   さき   6  め、しばらく家に引きこもり、51歳で4度目の入院となったそうだ。「この時期が一番つらかったですね」とふり返る。その後、農業にかかわるも冬には仕事各営業所の所長らも研修に参加うつ病を経て54歳で入社34歳で再び入院したときには会社を辞働く広場 2024.5福島営業所の場内には歩行者用の白線がひかれている福島営業所で働く八巻久男さん本社管理課課長で障害者職業生活相談員の小林剛さん福島営業所長の林偉大さん

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