働く広場2024年6月号
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――小倉さんは、幼少期をどのように過ごされましたか。小倉 ――その後は、商業高校に進学されたのですね。小倉 聴であることがわかり、三重県立聾ろ学校の乳幼児クラスに入りました。補聴器をつけましたが、それでも徐々に聴こえなくなり、頭痛も併発するので高校2年生のときにはずしました。ていた私は、二つ年上の兄の影響もあり、小学部3年生から地域のソフトボールチームに入りました。唯一の女子で、投手でした。小学部5年生のときに地元の強豪女子チームから声をかけられ移籍、全国大会に出場し、その後チームのなかから私が日本代表に選ばれて国際親善試合のためハワイに行きました。だけでした。当時はまだ補聴器をつけており、近くで話してもらったり口の動きを見たりして意思疎通を図りましたが、距離感があると感じました。でも試合に勝ったあと、帰りの飛行機でチームメイトに誘われてトランプをし、一気にみんなと仲良くなれました。当時のメンバーのなかには、いまも連絡を取り合う友人もいます。たことと、社会人になれば周囲は聾者ではない人たちばかりになるので、前もって「聴こえる人たちの世界を学びたい」という気持ちもありました。中学部の先生と一緒に、女子ソフトボールの強豪校だった三重県立宇治山田商業高等学校に出私は1歳児検診のときに重度の神経性難よく家族と一緒にプロ野球のテレビ観戦をし総勢100人の日本選手団のなかで聾者は私はい。聾学校にソフトボール部がなかっ最初は心配していた両親も私の思いを理解し、小3からソフトボール働く広場 2024.6   う2※1 本誌2023年6月号で「第10回国際アビリンピック」を特集しています。https://www.jeed.go.jp/disability/data/works/202306.htmlおぐら・れい1992(平成4)年、三重県生まれ。1歳から中学部まで三重県立聾学校に通う。2011年、三重県立宇治山田商業高等学校卒業、株式会社デンソー(愛知県)入社。2017年第37回全国アビリンピック(栃木県)の電子機器組立種目で金賞、2023(令和5)年、第10回国際アビリンピックフランス・メッス大会で銀賞受賞。2024年1月よりデンソー高■■棚■■製作所(愛知県)にある技能人財養成部技能研修開発室技能研修課に所属。(株式会社デンソー勤務)(文)豊浦美紀 (写真)官野貴第3回 2023(令和5)年3月、フランスのメッス市で開催された「第10回国際アビリンピック」には、日本選手30人が17種目に出場、8人がメダルを獲得した(※1)。 今回は、電子機器組立種目で銀メダルを手にした小■倉■■怜■■さん(三重県)に、あきらめず続けてきた努力や職場のサポート、現在の仕事などについて語っていただいた。電子機器組立種目銀メダリスト小倉怜さん「できない」から「できる」へ、「できない」から「できる」へ、見える世界広がる見える世界広がるメダリスト〜第10回国際アビリンピック〜

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