き、急に肩やほかの部位が痛くなり、医師からは原因不明といわれ続けて、病院をいくつも転々としました。高校卒業後も、体の痛みを抱えながら通常の社会生活を送ることはむずかしく、短時間のアルバイトをくり返す日々でした。そうして6年ほど経った23歳のとき、ようやく北海道大学病院で関節リウマチと診断されました。その後に障害者手帳を取得しています。きた私は、きちんと働きたいと思うようになりました。何かスキルを身につけたいと資格取得のための学校へ見学に行き、そこでネイル施術に出会いました。もともと創作という分野が好きだった私は当時、実演してくださった先生のスムーズな動きを見て「私にもできるかもしれない」と勘違いをしてしまったように思います。その後、ネイルサロンで働くために必要なネイリスト技能検定2級合格を目ざし、週1回の講座に2年ほど通いました。施術は、私の体の障がいには不向きだ」ということでした。手に腫はれがあるうえに関節が不自由なため、繊細な動きができないからです。それでも私は、指の力の入れ具合や、施術する手首の角度を調節して自然に誘導する方法などを私は北海道に住んでいた高校3年生のと投薬治療によって症状が少しずつやわらいで実際に学び始めてから認識したのが「ネイル――山下さんがネイリストになったきっかけや経緯を教えてください。山下 やました・かよ1983(昭和58)年、北海道生まれ。23歳のときに関節リウマチと診断される。2010(平成22)年、ヒューマンアカデミー札幌校ネイリストプロフェッショナルコース卒業。2019年、第39回全国アビリンピック(愛知県)のネイル施術種目で金賞。2021(令和3)年、株式会社JALサンライト入社。2023年、第10回国際アビリンピックフランス・メッス大会のネイリスト種目で銀賞受賞。(株式会社JALサンライト勤務)(文)豊浦美紀 (写真)官野貴(注) 所属先、役職など、記載した内容は取材日時点(2024年4月)のもの★ 本誌では通常「障害」と表記しますが、株式会社JALサンライト様のご意向により「障がい」としていますです※1 本誌2023年6月号で「第10回国際アビリンピック」を特集しています。 https://www.jeed.go.jp/disability/data/works/202306.html 223歳のときに診断最終回 2023(令和5)年3月、フランスのメッス市で開催された「第10回国際アビリンピック」には、日本選手30人が17種目に出場、8人がメダルを獲得した(※1)。 最終回は、ネイリスト種目で銀メダルを手にした山■■下■■加■代■さん(東京都)に、独自の工夫や職場経験などを活かして結果につなげたこれまでをふり返っていただいた。ネイリスト種目銀メダリスト山下加代さん「不向きだった」ネイル施術、「不向きだった」ネイル施術、日々の積み重ねが結果に日々の積み重ねが結果にメダリスト〜第10回国際アビリンピック〜
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